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  大原富枝『於雪』を読んで

2024-02-29 11:07:12 | 読んだ本
大原富枝『於雪』             松山愼介
 
 海外からの宣教師が世界にキリスト教を布教しようとして、さまざまな地域に命がけで出かけていった。純粋に布教目的の者もいただろうが、ポルトガルから種子島に鉄砲が伝わったように、彼らは単純に布教に来た宣教師ではなかった。「帝国主義(重商主義)」の尖兵としてやってきて、その背後の国は通商から初めて、最終的にはその国を支配することが目的であった。また、イエズス会とフランシスコ会の対立もあったという。
 高知県で生まれた大原富枝が、中村を舞台にして、あまり知られていなかったであろう土佐一条家の歴史を、兼定と、彼に仕えた於雪を主人公としてこの作品を書いたことは素直に評価できる。大原富枝は死後、正五位に叙せられている。
 一条家が京都からやってきて、土佐の中村地方の荘園を支配し、戦国大名とも互角に戦争をしているとは知らなかった。於雪は一條兼定に十七歳から九年間仕えることになる。兼定は長宗我部氏に敗北し、一旦は豊後に敗走するが、キリシタンとなって再度抵抗する。しかし、側近の裏切りにあって、顔だけでなく体中を切られる。奇蹟的に助かるが顔は正視できないほど傷つき、歩くのにも不重な身体になってしまう。伴天連のヴァリニヤーノに出会った時は六十歳の老人に見えたが、三十八才であった。その後、御所は戸島に逼塞させられ、薨る。
 於雪は、この間、御所が不自由な手で抜書きしてくれたキリシタンの教えを読み、機を織る暮らしを続けながら強い女性に変わっていく。天草びととの文通を楽しみにしていて、その使いを権之助(かつての許婚者?)が演じている。権之助は、於雪が御所に殉ずるのを心配して、天草どのに、御所の死を知らせないように懇望する。
「お前さまと天草びとをあざむいておったのは、かえってわが身であろうもの……」という自分の心情を吐露しているように、於雪にはすでに御所に殉ずる気持ちはなくなっていた。むしろ、男性による、仏教、キリシタンの教えに疑問を持つようになっていく。「女身は往生のとき、仏の功力によって転じて男子と成るを得る。それより他に成仏の方法はないのだ」という香山寺の和尚の「女人引導」に疑問を感じている。
 於雪はおそらく、マリアの処女懐胎も信じていない。それは女性や性交渉を不浄のものとする男性の論理である。「なぜゼゼズスは未通女のマリアから生まれなければならなかったのか。仏はなぜ、女身を男子に転生することによってしか、女人救済をなし得ないのか。なぜなのか。/雪は激しくそれを問いながら、それに答え得るものが女身である自身より他にあり得ないことを知っていた。それに答えをあたえてくれるのは、わが身のこの色身一つであった」。
於雪は「されどいつの世にか、女人とて女身のままに救われる世もやこん」と思うのであった。この故、マリアに対する信仰は強く持っている。
最後の雪の書き置きは御所の死を知ってからの心情が綴られている。雪は御所に殉ずる気持ちはなく、死ぬとしても百姓の女として死ぬつもりであった。「いまははらいそにて御所にまみえまいらせんとものぞみ申さず候」と書いている。

 余談だが、日本人は戦国時代、戊辰戦争の内戦を通じて、実に多くの人間が殺し合っている。それだけなら世界によくある話かも知れないが、日本人の特徴は自らの主人に殉じて死ぬことだろうか。長宗我部氏が四国を統一するにあたっても実に多くの人間が死んでいる。城とともに死ぬことは当たり前だったようである。この長宗我部氏も土佐一国におしこめられ、家康の時代には山之内氏の支配下に入り、下士として生きざるを得なく成る。
 戊辰戦争でも多くの死者がでたが、徳川慶喜が勝海舟の交渉術によって、江戸城を明け渡したために、官軍の標的は会津藩になった。会津では四、五カ月の間、会津兵の死骸を片づけることが許されなかったという。会津の家老の家では、一家全員を自ら殺している。
八月は恒例になっているように、NHKで多くの戦争に関する番組が放映されたが、日本が対米戦において、南方の島々で玉砕したのも、軍国主義の思想が第一要因だろうが、この戦国時代の伝統もあったかも知れない。
                       2023年9月9日

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