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大原富枝『アブラハムの幕舎』を読んで

2020-01-21 20:10:52 | 小説
          大原富枝『アブラハムの幕舎』           松山愼介
 高知県にある大原富枝の顕彰碑には、「―わたしはこの作者こそ『1人居て喜はば2人と思うべし。2人居て喜はば3人と思うべし。その1人は』わたしです、と言える人ではないかと思った」という吉本隆明による碑文が刻まれており、作品を通して富枝の人間性を見極めている。遺言により吉本隆明の著書『最後の親鸞』と共に富枝はここに眠っているという。大原富枝と吉本隆明の交流は、富枝の著書『アブラハムの幕舎』を機に深まった。富枝が唯一信頼したのが吉本隆明。吉本が作家として高く評価したのが富枝である。遺言により吉本の著書『最後の親鸞』と共に富枝はここに眠っているという。吉本隆明が大原富枝の碑文を書くほど評価していたとは全く知らなかった。あるいは、クリスチャンの大原富枝が吉本隆明に依頼していたのか。
『1人居て喜はば2人と思うべし。2人居て喜はば3人と思うべし。その1人は』わたしです、というのは、親鸞の言葉だそうだ。
「私の寿命もいよいよ尽きることとなった。阿弥陀仏に救い摂られている私は、臨終と同時に弥陀の浄土に往生させていただくが、和歌山の片男波海岸の波が、寄せては返し、寄せては返すように、親鸞も一度は浄土に往生するが、すぐこの娑婆世界に戻ってきて、苦しむ人々に弥陀の本願、お伝えするぞ。だから一人で仏法を喜んでいる人は、二人だと思ってもらいたい。二人で仏縁を喜ぶ人あれば、三人だと思ってもらいたい。そのもう一人とは親鸞だ。私が死んでも仏法は永久に尽きることがない。苦しみ、悩む衆生がいる限り仏法は永遠に尽きない」
 つまり、吉本の碑文が言いたいことは、大原富枝は親鸞のような人だったということだろう。吉本の『大衆としての現在』では、「‶イエスの方舟〟と女性たち」という章があり、千石イエスの「方法の中心は何かっていうとね、受動性ってことです。集団の組み方が、来るんなら来てもいい、もちろん出ていってもいい、つまり、おもしろくなくなったら離れていいっていう受け身ですね」、「僕のわりに好きな思想家の親鸞と似てて、親鸞っていうのはやはり受動性ですね」、「親鸞になると、人は煩悩具足の凡夫にすぎないんだからって、まったく強制しないし、念仏を信じられようがられまいが、面々のおはからいだというふうにいいますし、僕はわりと好きなんです」と、述べている。
 芹沢俊介の『「イエスの方舟」論』によれば、「イエスの方舟」は昭和五十三年四月から約二年間にわたって逃避行を行うが、その資金は二十年間かかって貯めた一千万円と、信者が家を売った千五百万円の二千五百万円だった。一行は総勢二十六人(若い女性十一名、中年婦人八名、中年男性四名、青年一名、子ども二人)である。移動にはキャンピングカーを使ったということだ。最終的には彼女らはテレビのワイドショーに登場した。結果、「イエスの方舟」は千石剛賢という聖書の読み手のもとに救いを求める若い女性が集まったということで、マスコミが期待した淫祠邪教ではなかった。
 大原富枝が「ただここには学問のある者や、有能な人間や、社会的地位のある者はおりません。そういうものを何一つ持っていない者たちだけが集まっているのです。いわば信仰の落ちこぼれが集まってくるのです」と書いているのを受けて、芹沢俊介は「イエスの方舟の女性たちが落ちこぼれであるということは、彼女らが社会や家庭で女性であることが不可能な状態をさしている。女性であることが不可能であると感じているのに、女性であることを強いられた、それゆえ彼女たちは社会や家庭を離脱しようとしたのである」と書いている。
 祖母を殺して自殺した少年、イエスの方舟を訪れたが救われず自殺した婦人というのは実話だということだ。ただ、田沢衿子がアブラハムの幕舎の信者となって、物語が展開していくのかと思ったら、久万葉子だけがアブラハムの幕舎へ行き、衿子は一人、「負の世界」で生きる決意をするのだが、偶然「グループ・風」の中で生きることになる。ここの展開はうまくいきすぎると感じた。榊原が絵を買うのも出来すぎている。関志奈子と名乗って生きるのも大変だろう。住民票がなくては働くこともできない。作者が衿子を「負の世界」で生きさせようとする意図はわかるがあまり現実感がない。
 小川国夫に『エリコへの道』という作品があるので、衿子は「死海から続く地溝帯、ヨルダン大峡谷帯にあるエリコ」から取っているのかと思う。
                     2019年5月11日

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