生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

石ころだって役に立つ

2018-02-14 12:30:43 | 日々の暮らし
私は人を励ます時に、こんな言葉を使う時があります。


以前の話

「私なんか生きていた

って、何の役にも

立たない」

と語る女性がいました。

そんな時、

道に落ちてる小さな

石ころを拾って

来ます。

(これが大事です)

「こんな小さな石だっ

て知らない内に誰かの

役に立っているんだよ。

人間の君だって、必ず

誰かが必要として

いるんだ」

といいました。


お城の土台の石垣だっ

て、間には小さな石

ころが必要なんだ。

セメントで作るコンク

リートだって砂や石こ
ろが必要なんだ。


人も生きているだけで、

誰かの役に立っている

ものなんだ。

と話したら納得してくれました。

これは、

何十年前にお祝いに

貰った包みをあけたら

石ころが入っていました。

メモに道端で拾った

石の形に感動した。

とありました。

どこにもある小石に

何を感動するのか分か

りませんでした。




それから、小石を見る

意識が湧いて来ました。

私も小石を拾って


人生を説いてあげなくてはと。







石ころだって


役に立つんだ


道の穴ぼこを埋めるのにも必要ではないか。

小石だって立派に


生きているんだと。

ましてや


あなたは


大きな石にも


なれるのだから。


お守りにと小石を

渡しました。


石ころだって


役に立っているんだ。



すると、いつの日か


お礼のお布施を頂きました。





小石でした。


いや、化石でした。




合掌








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冬山に耐え忍ぶ恋

2018-02-14 00:55:19 | 日々の暮らし
春近くなるといつも思い出すのです。

平安時代末期の皇女

式子内親王(しきしないしんのう)を。

詳しくは知らないが、政変で山深い小さな庵に幽閉され長い闘病の末に53歳で永眠した。
藤原定家と恋愛関係にあったという位しか知らない。

「山深み

春とも知らぬ

松の戸に

絶え絶えかかる

雪の玉水」

山が深いので、春になったこともわからないでいる。
 
粗末な松の戸にとぎれとぎれに落ちかかる雪どけの玉のような美しい水よ。

外に出ることができないので雪どけの音で春を知る。

この句にいつも心が
締め付けられて

忘れることが出来ないのです。


百人一首に定家が選んだ彼女の句があります。

「玉の緒よ

絶えなば絶えぬ

長らへば

忍ぶることの

弱りもぞする」


私の命よ。

絶えてしまうなら

いっそ絶えてしまえ。

もしこのまま生き長らえるなら、

心に秘めて耐え忍ぶ

気力が弱ってしまい

そうだ。

そうなると、秘めてきた恋が

外に現れてしまうかもしれない。

それでは困るから。

なんと情熱的な女性だったのでしょうか。

私は外に出て、

梅の満開を知り、

桜の咲くのも味わえる。

それだけで、幸せに

感謝しなくてはと


生きる勇気を頂いています。



今日の佳き日に


合掌

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