四季折々

気の向くままに

「虹の翼」

2012-08-19 14:53:35 | ボランティア
吉村昭著「虹の翼」を読み終えた

      

日清戦争以前にゴム動力で飛ぶ飛行機の模型を作り上げた二宮忠八という人の物語です

この人の何がすごいかと言うと

有名なリリエンタールやライト兄弟が飛行機を飛ばした10年も前に彼は飛行原理を発見してそれを作り上げていたことだ

甲虫や鳥の飛ぶ姿を見て現在我々が見ているプロペラ機と同じものを考案した

彼は凧を作って生計を立てていたが

収入を安定させるために軍隊に入り密かに研究に取り組んだ

当時人が空を飛ぶなんてことをおおっぴらに公言すれば変人扱いにされてしまう風潮があったからだ

実際江戸時代にも空を飛ぶことを試みていて末恐ろしい人物として斬首された人もいたという

でも模型飛行機までは完成させたが実際に人を乗せて飛ぶ飛行機を作るには資金が足りない

そこで軍籍にあった彼は軍の上層部に飛行機作成の上申書を再三提出するが何れも却下されている

上に立つ人物には先取の明が必要です

そうこうしているうちにライト兄弟が先に空を飛んだ

この本を読んでいて

寛永年間に世界に先駆けて円周率を発見していた関孝和を思い出した

またヨーロッパの宣教師たちを驚かせた安土城を築いた織田信長や精密な日本地図を作った間宮林蔵

私たちはこういう先人たちがいたことを誇りに思っていい

いまの子供たちにもこのような話をたくさん聞かせて夢を持たせたらいいと思う

ノーベル物理学賞を受けた日本人はたくさんいるが

歴史を紐解くと「むべなるかな」です

日本人もやるものです

私たちもこのような遺伝子を持っていると思うと

これからどのような人物がでてくるかと将来が楽しみになります

isp細胞を樹立した山中伸弥博士もノーベル賞の受賞は確実でしょう








奥松島月浜海岸

2012-08-18 09:40:53 | ボランティア
ボランティアに行っていた月浜海岸

     


奥松島の月浜は風景が美しい観光地だった所です

月浜には何度か震災復興ボランティアで行っていました

海には島が点在していて展望台からの眺めは素晴らしいものでした

当時のボランティア活動は展望台への道の整備や集落周辺の竹藪の伐採などでした

被災者たちの顔が直接に見えない作業なのでこの活動が本当に被災者のためになっているのかと大きな疑問を持っての作業でした

きょう民放の旅番組を見ていたら

月浜が出てきて何軒かの民宿が再開していた

漁獲物がまだ満足に入手できない状態での再開です

海水浴はまだできないが、レジャーボートでの島巡りなど一部観光の再開が成っていました

町が元気になってきている様子が伝わってきました

我々が整備したあの展望台への道も観光客が登っているんだ

また町の周りの風景もすっきりときれいになっていました

我々の活動が功を奏していることがはっきりと見て取れた

嬉しかったです

涙が出るほど嬉しかったです

ボランティアをやってよかったという感を強くした

元気をもらいました

番組での旅はさらに続いて気仙沼の方に向かってましたが

復興の速度は一様ではなくかなり遅れているところもある

私は今諸事情あって復興ボランティアに行ってませんが

状況回復した折にはまた参加するつもりでいます

地元の人にもう邪魔だと言われるまで行くつもりです










8月15日

2012-08-15 09:31:30 | ボランティア
きょう8月15日は終戦記念日です



終戦の日

敗戦の日というのは自虐的過ぎるか

軍人、軍属、民間人の死者数310万人余

日本人はなぜこれ程までの犠牲者を出す戦争をしたのか

この間の歴史はいったい何んだったのか

何をしてここまで突き進ませたのか

長い間思ってきたことです

「戦争と日本人」
「昭和とはなんだったのか」
「あの戦争はなんだったのか」
「それでも日本人は『戦争』を選んだ」
「日本人と戦争」
「あの戦争になぜ負けたのか」


etc.

これら戦争に関する本をかなり読んできた

そしてその戦争を賛美し応動したた幾多の文人たちがいたことも知った


これらの中に見えるのは

多数に流される日本人

熱狂しやすい日本人

そして冷めやすい日本人

異質なものを排他したがる日本人

他民族に優越感を持ちたがる日本人

出る杭に我慢がならない心の狭い日本人

美質の裏返しでもあるこんな姿

結果膨大な犠牲者を出してしまった日本




東日本震災の復興問題を抱えている今

福島第一原発に事故により既に国土の一部を失ってしまった今

尖閣諸島、竹島、北方領土問題を抱えている今

地方の疲弊と都市部の享楽文化との差が益々拡大している今

そしてこれらの問題に有効策を打てない政治の体たらくを見せつけられている今

日本の先行きに先の戦争の結果とは違った大混乱があることへの不安を感じます


今は

先述の気質を持っていることを自覚して

若い人たちに冷静な目を持って未来を見据えた奮起を期待する

先ず若い人たちよ選挙に行こう

そして自分たちの将来をかけてしがらみではなく人間性を見て投票しよう

再び悲惨な道を歩かずに済むために









   





地下足袋

2012-08-11 20:36:27 | 日記
地下足袋を新調しました

     

地下足袋姿はかっこいい。
新入社員の折、
ある先輩の地下足袋がかっこよくそれを履きたくて仕方がなかった。
でも現場経験のない自分がそれを履く勇気はなかった。
下手に地下足袋などを履けば、「何も知らない小僧っ子のくせに」と作業員にバカにされるのがおちです。
早くいっぱしの社員になって堂々と土方の前で地下足袋を履きたかった。
当時地下足袋を履いている社員は何人かいたが皆から一目置かれていたものです。
その人たちは土方を自負していた。

俺は土方だと誇りを持って言えるようになり、
また皆が土方と認めてくれるようになったのは5、6年たってからか。
仕事を覚えてきて下請けの作業員から信頼され、すんなり言うことを聞く様になってきた頃。
その頃からか、作業員に名前を「さん」付けで呼ばれるようになったのは。
当時下請けは専属だったので仕事を知らない社員には横柄な態度をとっていました。

よし、もう地下足袋を履いてもいいかな。
そして地下足袋を履きだしました。
が、会社から社員の地下足袋禁止の達しが出てしまった。
それでも憧れていた地下足袋なのでたまには履いていました。
これを履くと足元がすっきりして気持ちが引き締まるから。

登山の時にも履いたものだ。
しかし、アプローチが長い林道などの砂利道では足裏が痛い。
軽くていいのだけれど登山靴には敵わなかったな。

会社をリタイヤして今の仕事始めてから外回りの仕事ではもっぱら地下足袋。
靴から履き替える時に依頼者の頼もし感を感じます。
私も「恰好ばかりよくて仕事はいまいち」と言われないように気合が入る。

うちの家の屋根を直しに来てくれる瓦屋さんは80歳に近いが、
その細身の体の地下足袋姿は背筋がピンと伸びていて実に様子がいい。
最初に合った時その姿に見惚れてしまった。
私がこれからの生き方の目標にしている人の一人。
この人のように地下足袋を履いて最後までいきたいです。

私の地下足袋への思い入れは強い。










「世界報道写真展2012」を見て

2012-08-05 21:07:52 | ボランティア
世界報道写真展を見に行ってきましたが・・・


     


老人や子供の明るい笑顔なども期待していたのですが、暗に反して予想通りだった。

紛争、災害、自然破壊等々悲しいものばかり。

特に衝撃を受けたのは、
自然公園管理人が密猟を防ぐために角を事前に切り取って放されたサイが、密猟者に銃弾を撃ち込まれて角の残った部分をえぐりとられている写真だった。そのサイは角をえぐり取られた後にも命を長らえて密林をさまよっているところを写真に撮られたのです。
ひどいことをする。
ここまでやるか。
これを見て人間という生き物は救われないなと思った。

そのほかいろんな残酷な写真もあったが、
やはり数点の3・11写真に胸を打たれた。
地球上でどんなことが起きても、その空気というものが分からないと写真が人の気持ちに訴えるのは難しいと感じた。
写真を見て映っている人の気持ちは察っせられるが親身にはなれない。
(3・11に対しても東北の人と日本の西の方の人とでは感じ方が違っているような気がする)
     
この写真をを見てこの人たちが悲しんでいるのはわかるけれど、自分とは関係ないどこか遠い存在としか映らないし、何とかしてあげようという気持ちには到底至らない。

先述のサイの写真にしても同じです。

このような写真展を見るだけで何か意義があるのだろうか。
それとも何か別な観賞の仕方があるのだろうか。
こんな悲観的な見方をしているのは自分だけなのだろうか。

写真展を見て何の発見もなくただ悲しくなっただけでした。