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四季折々

気の向くままに

2012-09-23 08:21:31 | 日記
雨は好きだ



しとしと降る雨 ざあーざあー降る雨

雨は好きだ

きょうも雨が降っている

気持ちがなんて落ち着くんだろう

雨の日はなぜかなんにもしなくていいと思う

縁側に座って雨を見ているだけで

そのまま何時間でもいられる

頭の中が空っぽになる

休みが月に2回だったころ

朝目が覚めて雨音がしてると

なんと嬉しかったことか

現場が休みだ

山を下りて街に出る

映画を観たり喫茶店に入ったり

あの頃の感覚が今でも体に染みついている

静かに雨が降っている

時折車が雨をはじく音

居間の方からはテレビの音が

そして雨だれの音

飛行機の音がかすかに聞こえる

平穏で静かな雨の日曜日














愛国

2012-09-19 08:04:56 | 日記
きょうの新聞を読んで

尖閣諸島をめぐって騒がしい今日ですが、今朝の新聞で『愛国とは』という命題に対しての鈴木邦夫さん※という方の主張が私の心にすんなりと入ってきました。
以下抜粋してみます。
時間のある人は読んでみてください。

「よその国の人も自分の国を愛しているということです。日本人だけが愛国心を持っているわけではないのです。・・中略・・
外国人が母国に抱く愛国心を理解し、その上で日本を愛する。自分の国がすべて、日本だけが素晴らしいという考えは、思い上がった自国愛にすぎません。ただの排外主義です。愛国とは最も遠いものです」

「愛は欠点も失敗も認めた上で愛しいと思う心だということです。日本はアジア諸国に対し、弁解のしようのない失敗を犯してきた。そこを認めずに日本は正しかった、悪いことはしてない、失敗を認めることは反日的だと言いつのり、良いところばかり愛するのは愛国心ではない。心の痛みが伴わない愛国心は、フィクションにすぎません」

「日本でも愛国心を訴える政治家が多くいます。尖閣諸島や竹島の問題では、戦争も辞さない勢いで国民を応動しています。立派な政治家と思われたいのでしょう。あまりに不純、卑劣な態度です。大局的に国益を考え、中国や韓国をやっつけろと騒ぐ世論を抑えるのが政治家の役割です。国民と一緒になって騒いでどうするんですか。非国民、国賊と呼ばれても、冷静に対処する覚悟がなければ、真の愛国者とは言えません」

「愛国心とは家族への愛、故郷への愛、その延長線上に位置するものです。・・中略・・
多様性、敵対性もすべて抱きしめる心。・・中略・・
それが真の愛国だと思います」

※ 元行動右翼だった人です。今は左右両派に親交ををする人が多く左派系の人たちからも一目置かれている。検索してみてください。


いつの間にか

2012-09-10 14:32:03 | 日記
またこんな本を買った



興味がある1930年代
第一次世界大戦に参戦したこのあたりから日本の形が変わってきたように思うから

今の政治のていたらく
明治維新から日露戦争までの日本の指導者たちは称賛されることが多い
当時の指導者たち(官僚)は今の政治家たちとはどう違うのか
またその統治下にあった国民の意識は現在とどう違うのか
どのようにして軍が発言力を増して暴走するようになったのか

台湾出兵以来10年を置かずして戦争や紛争・事変が太平洋戦争まで続いた
そこに一般の日本人はどのように係わってきたのか
または係わらされてきたのか

そして太平洋戦争が敗戦に終わった時
日本人の意識が急に180度変わったことが不思議でならない
原爆投下や都市への無差別爆撃をされたアメリカに恨みは残らなかったのか

もし太平洋戦争が起こらなかった場合あの大きな力を持った軍はその後どうなったのだろうか
大日本帝国憲法は今も成り立っているのだろうか
解らない

遠い異郷で兵士たちは若い命をどんな思いで散らしたのだろうか
無念であったろうと思う
親御さんたちの気持ちはいかばかりか
「天子さまのいたずらじゃあ!」
「むごいあそびじゃあ!」

このようなことを考えながら読み続けてきた本たちがいつの間にかこんなに



だが私の頭の程度では事象を知って楽しんでいるだけ
何かに生かすなんて出来てない
読書という趣味の範疇を出ておらず
ちょっと空しくあります





誰も言わないこと

2012-09-08 09:32:17 | 日記
福島第一原発廃炉で出る汚染物質の処分地はやはり原発敷地内が妥当と思う。

原発を誘致して建設を望んだ人たちは本当に本当に安全神話を100%信じていたのだろうか。
自動車、飛行機、船舶、化学工場等に構造的、人為的、または自然災害による事故は必ず起きている。
同じく人間の造作による原発だけが絶対に事故を起こさないということは考えられない。

私は以前から原発も必ずが事故が起きるし、事故がを起こった時の影響の悲惨さを思い懸念をしていた。
こう考える人たちは案外に多かったのではないでしょうか。
原発の安全神話を信じたと言っていた人たちも気持ちのどこかにはこんな思いがあったのではないだろうか。
そして原発による恩恵の方を選択した。

また事故が起きてからはもちろんだが、当然いつかは廃炉になる。その時に出る汚染物質の処分のことは考慮に入れていたのだろうか。
この部分には敢えて目をつぶっていたのだろうか。
放射能汚染物質をどこかよその地で受け入れてくれると考えていたのだろうか。

よその地の人たちが放射能廃棄物を受け入れるとは考えられない。
放射能廃棄物は原発の敷地内での保管しか道はないのではないでしょうか。
原発を誘致して恩恵を受けてきた人たちは最後まで責任を負うべきと思う。

とは言っても、
自業自得などとは言いません。
私も疑念を抱きながらも原発電力の恩恵に預かっていたし、国の施策を容認していたわけですから。
原子力発電は国が主導して進めたものです。
今福島第一原発の事故により、原発の立地自治体以外の区域でも家族が離散したりして悲しい思いをしている人たちに、また避難をしていて今後の生活のめどが立たない人たちに、国がもっと積極的に全力で援助の手を差しのべ、今後の方向性を早く示してあげるべきだと思います。