次期総理の話題を聞いてて思った。
小泉進次郎に小泉純一郎が総裁選に「立候補はまだ早い」と言ったらしい。
親が子供をコントロールをするのであれば
それは新しい活力の目を古い権力者が積み取るようなものだろう。
若い世代が自らの意思で立候補して、それを若い世代が選挙で選ぶのであれば、それはその時の世の中が選んだものそのものと言えるだろう。
時代はその時の多くの人で成り立っている。
そして多くの人の力関係で出来上がる。
誰が多いのか?
誰が力を持ってるのか?
そういう色々な世間の話題を聞いてて、若い時代に活躍した小泉純一郎が老害になってる気がしてる。
そして、現在は老人の数が増えすぎている。
そのせいで、その「時の権力者」を選ぶ世の中が老人だらけの世間になっているから、若い目は摘まれて当然の世の中になっている。
若い目が摘まれれば、残った権力は老害優先の世界を生むだろうな。
だから「今の若者は・・・」という言葉は何度も繰り返される。
老人が唱える少子化問題は、老人のために子供を増やせ、と唱えてる気がしてる。
それで若者は子供を増やす気になるだろうか?
少し呆れる。
では、老人の世界ではない若者の世界が来たとする。
それで時代が変化すると思うか?
若者が世の中をコントロールするようになったとしても、結局はまた老人が若い時代に行なった過ちを繰り返すことになるのだろう。
結局、老人は死に若いものが、何度も何度も同じ過ちを繰り返すのが歴史なのだ。
それも何度も何度も永遠に繰り返す。
人の歴史はそういう出来事で記される。
宇宙の歴史と同じ。
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