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ぶきっちょ

性格がブキッチョなんで
 五体すべてが不器用ってか・・・

大沢香取神社

2015年01月30日 17時56分29秒 | 独り言

キャンベルタウン公園というのが近所にあり逆川という用水路を挟んで

その対岸にメタセコイアの大きな樹木が並んでいますが

(この写真では11月で紅葉してます)

見えないけどこの樹木の左側に水神宮様の祠があります。

なんでか何度も通り過ぎて気にもしていなかったのですが

この日はなんか目にとまり気になったんです。

 

今は人工的に造られた正に用水路という感じなんですが

昔は普通にどこにでもあったような川だったんでしょうか。

説明によればその生活の場面が大沢香取神社本殿の北面に

彫刻されているとあります。

神社が特に好きという訳ではありませんが樹木も多くあって

やはり静かでないですか!

 

北越谷駅の東口を出て右手側に行くとすぐに大沢香取神社はあります。

特にびっくりするような大きな神社とは思えませんが(勝手な感想です)

その宝物殿と言うんでしょうか本殿に続く奥の建物の上から下まで

その四面がすべて彫刻が施されていたのを偶然気付いて

そのすごさにびっくりした記憶はあるのですが個々の事は・・・。

それが突然この水神宮様と結びついたという訳です。

 

そこに説明書きにあるようなものが本当にあるのか・・・

そこまでは気が付かなかったので改めて見学にいってみました。

北側がどっちかよく解らなかったのですがこれだと思いました。

下側にあって左と右に2面ありました。

するとこれは南側

東側

西側

南、東、西にもそれぞれ下側には彫刻があるのですが今回は省きます。

 

現在の物は明治元年に再建とあり見たことない見事な物だと思います。

東西南北4面上から下までびっしり彫刻が施されているんです。

 

しかしもう年数を得てだいぶ傷んでいるようにも感じ

早くこれらをりっぱなカメラで写し取り保管するべきと思います。

後世に残す為にこうしたものはニスとかを塗って保存するとかは

しないんでしょうか?

 

難しいことはさておき近くでじっくり見たいと思うのですが

なにしろ石柵?で邪魔されていますので非常に残念です。

 

 

 


月次花御札「つきなみはなみふだ」

2014年12月17日 00時42分11秒 | 独り言
年賀状の図柄どうしようかと思案中でした。

今までは自分の撮った写真の中からよかったと思うものを
転写して年賀にしてきました。
今年はさてどんなのにしようか迷っていて見つけたのがこれでした。
月次花御札(つきなみはなみふだ)
今年はこの写真でいこうと思いました。

「つきなみはなみふだ」とは
昔から花や樹木には「霊力が宿り邪気を払うため」
こんなお守り札ができたようなんです。
根津神社の他、京都の平安神宮や八坂神社でも売られているとありました。

             
              これが1月の松

        

この花御札全部そろえているわけではありませんが
文京区根津の根津神社に度々東京ぶらり散歩としゃれこんで
この界隈を歩き訪れては帰りに1枚買っていくのです。
全部一度にそろえるのもいいかもしれませんが
増えていくのがまた楽しいんです。
現在、家ではまだ6枚しかありません。

厄除開運祈願の『月次花御札(つきなみはなみふだ)』は全部で13枚あり
1月松、2月梅、3月桃、4月つつじ、5月菖蒲、6月竹と薬玉、(2枚)
7月梶、8月撫子、9月菊、10月楓、11月南天、12月椿となっています。


だるまや鏑矢のように大晦日に返しにいかなくてもいいらしく
そのまま綺麗なので飾っておいて大丈夫とのことです。

ああ水球(THE EARTH)

2014年11月07日 11時26分33秒 | 独り言
秋・・・もう冬だろうか
数日前天空を見上げると気持ちよさそうにこんな雲が流れていた。


最近陽の光が眩しいと思うようになり
薄い色のサングラスをかけるようにしている。
だから見上げていても空の蒼さは柔らかい。

流れる雲の下には蒼い海が広がり
陸地はまだどこにも見えてこない。
どこまでも続く海原に雲が浮かぶ
僕は人工衛星の窓から母なる地球を眺めている。
地球と言うよりこの海原を見る限り
この僕らの星は(THE EARTH)は水球と言うのがふさわしい。


ベンチに座り空を見上げていたら
見下ろしている錯覚におちいった。
なんと気持ちのいい幻想感。

ショーケースの展示品に

2014年11月04日 22時41分53秒 | 独り言
有楽町にある東京国際フォーラムの骨董市に行こうと
先日出不精の私は半ば強引な誘いで奥さんと出かけることになった。

骨董市場がひらかれていてこれ目当てに出てきたのであるが
古い物も嫌いではないがあまり興味がある訳でもない。
しかし古臭いたいして使い勝手のある訳でもない物をずっと見て回っていると
埃の積もった倉の中で一人遊んだ頃を思い出すのであるが
懐かしい物に出合ったりするが骨董品は自分には向いていないんだと思う。

帰ろうということになり何処かで食事しようと
知っているというカレー屋さんに行こうとして
それがどこだったか奥さんが解らなくなり
まして私が知る訳はありません、どうやら迷子です。

どこで道を間違えたのか何処を歩いているのか
と突然私がすごく懐かしい景色に出会った気がしまして
ここら辺は随分馴染み深い場所に違いないと思いまして
よくよく見れば10年以上はここでいろんなことがあった所でした。

ビル群に入り込むと未だにほんの近所でもまったく見当もつかなくなり
どこを歩いているのか解らなくなってしまうんです。
で突然解る場所に出れば初めて場所の地図が頭に浮かんで展開し始めます。
それまでは小さなパニックを起こして何がなんだか
ビルはどれもただの大きなビルで区別できないのです。
人の顔が識別できない病いもあると聞きますが
私の場合はビルはだいたいどれも同じように見えてしまいます。
そこに入っているテナントにまったく興味がない性なんだろうか。


そんなこんなで場所の見当がついたんで適当なところで
ベトナム料理でもということになりました。
変わった物を食べるのはあまり得意ではありませんが
みんな口に合い美味しかったです。

会計の際レジ横のお店の雰囲気を表す展示品のショーケースを見た時
驚きの物が飾られていてビックリでした。

飾りつけに丸い白い皿の上にポツンと一頭のホタルガが飾られていたんです。
たまたま迷い込んだということはまさかそんなことはないと思います。
蛾が飾ってあるのにはえっと声が出る程聞きはしませんでしたがびっくりしてしまいました。

(写真は飾られていたものではなく手持ちの写真から出したものです)
一種のカルチャーショックですかね。


普通のこと

2014年07月20日 22時29分13秒 | 独り言
ここは公園だろうか水門のある広場である。
メタセコイアの木が何本も植わっており
その一本に奇妙なでっぱりがついているので見てみる。



これってニイニイゼミでないかい?
下から写真を撮ってみると抜けだそうとしている姿だ。
しかし時はもう昼過ぎである。
見ている時間はないんでこの場を去らなければいけないんだが
これは生きてるんだろうかそれとも・・・
昼間にこんな姿ではきっと蝉になれないんのではないかと。





次の日の同じ時間そこに寄ってみたが姿かたちはなかった。
脱殻もなかったのはきっと脱皮は失敗に終わったと思われる。

カラスにでも持って行かれたのかも・・・
こんな蝉を何度も見る
多くなった訳ではないのだろう
自分が見るようになったことがその印象を強くしている。

思うに普通になれることがいかに難しいことかを
痛感させられる。
普通であることはまさに奇跡に近いことだと悟る。


私も他の人も奇跡の人である。
バカでも利口でも・・・