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ぶきっちょ

性格がブキッチョなんで
 五体すべてが不器用ってか・・・

謎だったんです

2016年08月09日 21時23分02秒 | 独り言

だいぶ前の話になってしまいます。

 

これはある河川の様子を見るカメラです。

他も見る画面はあるのですが

たまたまこれは下流を見ていた時のものです。

 

何気なく見ていたとき右側の岸辺から何かが水の中に

それはすいすいと川を横断し始めたんです。

 

これは一体何だろうと拡大してみますと

カワウソのようなものではなく泳ぐ様子から蛇だと思います。

 

川幅は100メーターくらいはあるのかな?

見る間にそれは川の中央を過ぎ早、残り三分の一というところで

突然その姿は水中に没してその後何処にも浮いてきませんでした。

 

突然蛇が溺れるなんて聞いたことないです。

これがずっと謎として残っていました。

 

この間4チャネルの鉄腕ダッシュの番組を見ていた時

ダッシュ海岸のところで網を破った犯人は鵜だったというのが

ありました。

 

それで思ったのです。

この川には毎日何匹もの鵜をみますしやって来ます。

近所の用水路だってネッシーのように首を上げてる鵜の姿が。

彼らはカエルだろうと動くものは何でも丸呑みすると番組で言ってました。

 

あの謎は鵜が下から水の中に引きずり込んだのではないでしょうか?

 


マーキング

2016年02月07日 22時56分53秒 | 独り言

 

ユーチューブの動画サイトでは日本を訪れた外国の方が

道路の清潔さを褒めまくっているが

ここ越谷の田舎道ではそんなこと全然ない。

 

お菓子の袋、テッシュ、空き缶、ビン、歩き煙草のポイ捨ては自由

何処が清潔?何処にモラル?なんて数日前までは怒っていた。

 

 

人様の捨てたゴミを拾い集めてかたすことは

けっこう恥ずかしいことである。

きっかけはそこ(休みどころのベンチ)で太陽を浴びながら

美味しくコーヒーを飲みたいが為であった。

散らかったゴミの中で飲むなんて胸糞悪かったからである。

 

 

「えらいですね」と褒められたけど

私はもっともらしくそう答えておいた。

確かにゴミのないそこでのコーヒーはくつろげる。

 

 

最初はその辺だけだったのが近所を回るうち

そこらじゅうに落ちているゴミに怒りを感じるようになった。

しかし数年前まで自分も歩き煙草で吸殻を道に捨てていなかったか?!

結局これは過去の自分のを拾っていると思えば腹も立たない。

 

割合素直にそれなりの拾い方でかたせばいいんだと思い

長いピンセットが遊んでいるので拾う時はそれを使い

ワンちゃんの散歩にはだいたい一日一度はそれを実行している。

 

 

家にまでは持って来るのはさすがに気が引けるので

近辺の公共のゴミ箱に入れるようにしてる。

ワンちゃんの糞の方はちゃんと家に持って帰るよ!

 

何度も拾うからか気分綺麗になった気がする反面

何となく路面に人間味がなくなったような硬い(無機質)感じがするのだ。

自分のしていることはいけないことではないかとも思える。

ゴミも長い歴史の中では文化に変わるかも知れない。

 

出会うゴミの中で不思議なことがある。

本体がないのにその蓋がいくつも捨てられている場面が

同じ場所やまた近所で何度も出会いまだ続いている。

 

同一犯としか思えない。

 

何度もそれを見るようになって

この偏執的なこだわりに知的な障害がある子の仕業だったら?

そう考えてから腹を立てるより考えるようになった。

 

人がゴミを散らかしたり置いていく様には

動物としての人間の本能の為せる業ではないかと

つまり動物としてのマーキングのようなものではないだろうか。

 

ワザとこれ見よがしに散らかしたり置いていったり(吸殻)

 

また缶を植木の上に置いていったり潜り込ませたり

ブロック塀の上に置いていったり電柱の脇に置いたりと

やっぱりこれってマーキングだろ!

猿にもいろんな性格があるように人にもそれは言えるよな。

 

 

 

 

 

 

 


冬は来るのかな?

2015年11月18日 11時05分07秒 | 独り言

このところあったかいからか

前からベランダのスミレが咲きている。

シロバナタンポポも咲いて綿毛をつけていた。

 

それについ先日は小さなシジミチョウも舞っていたし

ツマグロヒョウモンのメスも見かけ

キチョウそれにキタテハが姿をみせていたではないか。

 

「大いなる変化は鳩の歩みでやってくる」

ツァラトゥストラはこんなこと言ってなかったか?

変化は恐怖だったっけ?

 

 


クールジャパン?

2015年11月13日 23時28分09秒 | 独り言

朝からこの日は雨が降り

そんなこと理解もしないうちの息子は(もちろんワンちゃんです)

いつもくらいの時間が来ると散歩に連れて行けとうるさくなる。

仕方ないのでそれ用の鞄に入れて肩に担いで雨の中出かけるのだ。

道中顔を出したりしながらまあ大人しく中に納まっている。

 

久伊豆神社を通りかかると今日は七五三のお参りで賑わっていた。

子供たちは着物や袴姿なんで転びでもしたらと心配に

また歩くのを嫌がる子供で親御さんは大変な思いをしていた。

 

さらに葛西用水路を歩いて越谷市役所前の藤の並木の連なる

(現在まだ先に延ばす工事中であるが)ウッドデッキの散策路まで

来てしまった。

 

水辺の光景って大水が出ない限りはとても心落ち着く場所だと

思う。

しかし下の川を覗いてびっくりである。

そんなところにこの散乱したゴミはいったい何なんだ。

なんで川にゴミを捨てなければいけない!

ネットでは日本の道路はゴミがなくどこも清潔と褒められていた。

綺麗なのは都会だけか!

 

この間はいつも休憩するベンチ周りには散乱したテッシュ

それに剃刀が3本打ち捨てられていた。

どうにも気持ちが悪かったのでピンセット持って片付けにいくと

もう誰かかたしてくれていた。

きっとその人も見かねてせざるを得なかったのだろう。

 

それにしても悪意を感じるような空き缶の捨て方あり

かたづけろと言わんばかりな紙類ありと

日本人も決して品性が高いとは思えないよ。

 

簡単には進化しない、これも文化と諦める?

 

 

 

 


奇跡それは

2015年02月20日 11時50分13秒 | 独り言

大昔川泳ぎで溺れたことがある。

自力で助かったけどそのことに誰も気づいていなかった。

岸に上がってからは身体の震えが止まらなかった。

思えば運があったとしか考えられない。

死んでいたら一緒にいた兄貴は一生その罪を背負うことになったかも。

自分の身にもほんの些細な行いが大きな災いとなることもあり得た。

何事もなく今あることがみんな運だと言えばそうかも知れない。

 

聞いた話で線路をまたげなくなった人のことだ。

若かったその時の自分は笑ったものだ。

 「不用意に線路をまたいで石を跳ねそれが線路にのり

  電車が脱線でもしたら多くの人を傷付けてしまう」と。

  彼は線路があれば引き返すようになったという。

こんな話はくだらない作り話だろうが笑えない事実はどこにも存在している。

我々は自転車に乗っていても

実はいつも加害者、被害者の危険には隣り合わせなのだ。

 

何事もなく生きてあることが奇跡ということになるのかも知れない。

数センチ横、数ミリ先に不幸がポッカリ大きな穴を空けているかも

死神の釜が今まさに振り下ろされようとしているかも知れない。

生きてあることが奇跡だと思う先日

あのコンクリの壁についていたお菊虫が姿を消していた。

今羽化するわけはないと思うので動物か人為でしか考えられない。

もう少し隠れた所でと思っていたが・・・奇跡はなかったのだ。

 

枯れ葉を掃除しているのも見る度「ああ、これも越冬の蝶には」

と奇跡を願う気持ちが湧いてくる。

 

最近はこんな具合に虫に想いを深めてしまう

昔には想像もできない自分になっている。

キノカワガという蛾が越谷の久伊豆神社の参道のメタセコイアの樹木に

1月の17日からずっと止まっている。

7日

17日

26日

ここ数日外を出歩けない状態なので見にいけてないが・・・

奇跡は続いているだろうかと心配している。

この蛾が成虫越冬するとあったのでこうして春の来るのを待っているようだ。

見てきたかぎりほとんど動いてない。

 

自分もこんな風に省エネ越冬ができたら貧乏生活の足しになるのだが

と思ってしまいますね。

心傷める事件も多いし・・・歳を取ると知りたくなかったなと思うし。