電波届いてますか?

SNSには書きにくい趣味のアマチュア無線や日々の徒然をしたたみます

東海道53次 神奈川~保土ヶ谷

2016-04-24 17:22:39 | 東海道53次
川崎から歩いて神奈川宿まで来ました。今日は、このまま保土ヶ谷まで進みます。神奈川宿から保土ヶ谷宿までは1里9町です。
第一京浜を進み、宮前商店街まで来たら右折します。

商店街というよりビジネス街といったほうが適切な通りを進みます。旧道は鉄道を跨ぐ青木橋で分断されます。
青木橋より先は台地へ上る坂道になっていて、町並みは住宅街です。

道の途中に、神奈川の一里塚跡がありました。日本橋より7里目です。(写真:下左)
そのすぐそば、道の向かい側に江戸時代から営業している割烹があります。坂本龍馬の妻・おりょうがここで働いていたそうです。(下右写真)

道は台地の上を抜けるように続いています。昔は、ここから海が一望でき多くの茶店があったそうです。
そこには神奈川関門がありました。今は碑が残っています。

先を進むと高速神奈川2号西口ランプ前に行きあたります。ここからは環状1号線に沿ってあるきます。
東海道の風情はありません。

浅間下交差点を渡り、浅間下公園を横切るように進みます。下写真で公園の先に見える道が旧東海道です。

しばらく歩くと松原商店街に入ります。ここが保土ヶ谷宿の江戸川入口だったところです。
松原商店街は本当ににぎやかなところでした。道端に品物が並べられており、市が出ている感じです。
買い物客だけではなく団体旅行者もおりました。

商店街を抜け相鉄線ガードをくぐると帷子橋跡があります。昔は川があったんですね。

500mも歩くと保土ヶ谷宿の中心地 現在の保土ヶ谷駅前に着きました。東海道は下写真の奥に見える商店街に続きます。
最初の難所といわれた保土ヶ谷、次回は戸塚に向けて歩きます。

そういえば今日は、ALL JAコンテストでしたね。コンテストはせわしいのであまり好きではないんです。
家に帰ったら50MHZでも覗いてみようかな・・・

東海道53次 川崎~神奈川

2016-04-24 16:12:47 | 東海道53次
昨日からの雨が残っていますが、川崎宿から保土ヶ谷宿まで歩いてきました。
スタートは川崎駅東口近くの小土路橋からです。繁華街を抜けて一路横浜方面に進みます。

歩いてすぐに京口棒鼻跡に着きます。昔は川崎宿の京側出入り口だったところです。その先には芭蕉の句碑があります。

京急八丁畷駅を過ぎてしばし歩きます。昔の市場村あたり。道幅はありますが旧道と分かる道路線形です。
変形スクランブル交差点の角にアマチュア無線のアンテナが林立しているお宅がありました。
同じ趣味だと結構探してしまうんですよね。

一里塚跡に着きます。日本橋より5里目です。約20kmです。残念ながら一里塚は残っていません。


歩いていくと鶴見川橋が見えてきました。白いアーチが美しい橋ですね。

橋を渡ると鶴見(横浜市)に入ります。鶴見は宿場ではなかったようですが茶店が多くあったそうです。
京急鶴見駅のガードをくぐりベルロード鶴見商店街を進みます。

商店街を抜け第一京浜を渡るとJR鶴見線をくぐります。ここには有名な国道駅ガードがあります。
古ぼけていますがアーチの美しいガード下は、昭和の臭いがプンプンします。

生麦の街を突き進みます。このあたりは旧東海道が裏通りになっており街道筋とわかる線形になっています。
周囲は普通の住宅街です。(写真:下左)昔は寂しいところだったと想像できます。生麦事件の碑がありました。(写真:下右)

再び第一京浜に戻ります(写真:下左)。 あたりは子安の街になっています。(写真:下右)

当時をしのぶものがありませんが神奈川宿の中心地。京急仲木戸駅付近に着きました。
川崎宿から約9kmの道のりを2時間で歩きました。今日はこのまま保土ヶ谷まで進みます。

自宅の設備

2016-04-17 18:27:59 | アマチュア無線
帰省中、10MHzにQRVしました。というより、10MHzにしか出られないというのが実際です。
自宅には、帰省時の暇つぶし用にFT991を置いています。アンテナはサガのHF用のアローラインを使っています。他バンドも出られますが、地方では出ている局がいません。
今日はコンディションもイマイチであまりオープンすることなく2局で終了。
特記JCC目指していますが599workedで足踏みしています。

隔離病棟

2016-04-16 17:55:40 | 日記
一昨日、親が突然の入院と聞き、今週末は急遽郷里に戻りました。
病名はなんと結核です。
年も90近いので、昔知らぬ間にかかり自然治癒していた結核が発症したようです。
病院での診断後、すぐに保健所から電話があり、翌日迎えに来たようです。
今日は郊外にある病院へ見舞いに行きました。1フロアみな結核患者とのこと。専用のマスクを買い病室へ入ります。患者はフロア外に出られません。
最低3ヶ月は隔離されます。患者は若い人が結構いるらしいです。
元気な時は少しうらやましく思うものの、入院するとホント早く出たいんですよね。お気の毒です。

東海道53次 品川~川崎

2016-04-10 19:23:31 | 東海道53次
今日は、東海道の品川宿~川崎宿 約12.5kmを歩いてきました。
品川駅高輪口を出て国道を横浜方向にしばし歩きます。

しばらく行き、八ツ山橋交差点を過ぎたら進路を左方向へ変えます。下の写真が八ツ山橋交差点です。

橋を渡ったところで右手に広場が見えます。踏切を渡ったその先に旧東海道が伸びています。ここは少しわかりにくいかな。
私も道を間違えてしまいました。

踏切の手前に案内看板があります。気分が盛り上がります。

ここからは当時の面影を少し残した街道筋となっています。テレビでもたまにロケしていますよね。
いい雰囲気の商店街です。こんな商店街、東京しか残っていないんですよね。

途中に本陣跡があります。昔は参勤交代のお殿様がお泊りになったんでしょう。

品川橋です。昔このあたり一帯は大変にぎわったそうです。地方出の私からみたら今でもにぎわってますけど。

街道を進みます。青物横丁商店街、鮫洲商店街と街道は続きます。

鮫洲を過ぎ商店街が終わると涙橋が現れます。このさきにあった鈴ヶ森刑場で処刑された罪人とその家族がここで今生の別れをしたそうな。

橋を渡ってしばらく行くと鈴ヶ森刑場跡があります。街道脇で処刑したんですね。
昔はまわりになにもなく薄暗く気味の悪いところだったそうな。ここを遠回りした旅人もいたようです。

ここからは第一京浜沿いに歩きます。平和島まで進むと前方左側に続く旧東海道が見えてきました。
この先は、ミハラ通り商店街になっています。

ミハラ通りは人も多く行きかい下町の雰囲気を残した商店街です。ここで昼飯を食べました。

この先はまたまた第一京浜に出ます。特に見るところもなくただひたすら歩くのみ。蒲田を過ぎ雑色商店街が右手に見えます。
昔懐かしいアーケード付き商店街ですが、もう立ち寄る元気もなくそのまま過ぎ去ります。

やっと多摩川まで来ました。江戸時代は渡し舟だったそうです。そのため川崎宿が繁盛したんだとか。

歩いて県境を越えました。感激!

橋をわたり、橋への坂路下をくぐると旧東海道が見えます。ここからが川崎宿ですね。あと少し。

にぎやかな川崎の繁華街を歩き今日の終点 小土路橋まで来ました。
9時30分ごろ品川を出て、なんだかんだ14時になっています。
途中休みながら来ているので仕方ありませんがちょっと時間がかかりすぎ。
江戸時代は、東京を出てからの最初の定宿が保土ヶ谷だったそうな。1日30kmは歩いています。
さて次は川崎宿から神奈川宿、保土ヶ谷宿へと進みますが予定は未定です。