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東海道53次 品川~川崎

2016-04-10 19:23:31 | 東海道53次
今日は、東海道の品川宿~川崎宿 約12.5kmを歩いてきました。
品川駅高輪口を出て国道を横浜方向にしばし歩きます。

しばらく行き、八ツ山橋交差点を過ぎたら進路を左方向へ変えます。下の写真が八ツ山橋交差点です。

橋を渡ったところで右手に広場が見えます。踏切を渡ったその先に旧東海道が伸びています。ここは少しわかりにくいかな。
私も道を間違えてしまいました。

踏切の手前に案内看板があります。気分が盛り上がります。

ここからは当時の面影を少し残した街道筋となっています。テレビでもたまにロケしていますよね。
いい雰囲気の商店街です。こんな商店街、東京しか残っていないんですよね。

途中に本陣跡があります。昔は参勤交代のお殿様がお泊りになったんでしょう。

品川橋です。昔このあたり一帯は大変にぎわったそうです。地方出の私からみたら今でもにぎわってますけど。

街道を進みます。青物横丁商店街、鮫洲商店街と街道は続きます。

鮫洲を過ぎ商店街が終わると涙橋が現れます。このさきにあった鈴ヶ森刑場で処刑された罪人とその家族がここで今生の別れをしたそうな。

橋を渡ってしばらく行くと鈴ヶ森刑場跡があります。街道脇で処刑したんですね。
昔はまわりになにもなく薄暗く気味の悪いところだったそうな。ここを遠回りした旅人もいたようです。

ここからは第一京浜沿いに歩きます。平和島まで進むと前方左側に続く旧東海道が見えてきました。
この先は、ミハラ通り商店街になっています。

ミハラ通りは人も多く行きかい下町の雰囲気を残した商店街です。ここで昼飯を食べました。

この先はまたまた第一京浜に出ます。特に見るところもなくただひたすら歩くのみ。蒲田を過ぎ雑色商店街が右手に見えます。
昔懐かしいアーケード付き商店街ですが、もう立ち寄る元気もなくそのまま過ぎ去ります。

やっと多摩川まで来ました。江戸時代は渡し舟だったそうです。そのため川崎宿が繁盛したんだとか。

歩いて県境を越えました。感激!

橋をわたり、橋への坂路下をくぐると旧東海道が見えます。ここからが川崎宿ですね。あと少し。

にぎやかな川崎の繁華街を歩き今日の終点 小土路橋まで来ました。
9時30分ごろ品川を出て、なんだかんだ14時になっています。
途中休みながら来ているので仕方ありませんがちょっと時間がかかりすぎ。
江戸時代は、東京を出てからの最初の定宿が保土ヶ谷だったそうな。1日30kmは歩いています。
さて次は川崎宿から神奈川宿、保土ヶ谷宿へと進みますが予定は未定です。