「おまえ、死ぬぞ」
「ふぇ?」
アスランの呟きに、眠りに付く寸前だったキラが気の抜けた声を上げた。
アスランがAAに来て、キラの言うままにアスランとキラは同じ部屋を使うことになった。
シフトで動いているAAで、数少ないパイロットであるアスランとキラは当然シフトが被っていない。
アスランが仕事を終えて部屋に戻ると、入れ替わりにキラが仕事に就く。
一日1時間、一緒に居られればいいほうだ。
だから、今まで気づかなかった。
キラが、食事をしていない事実に。
「なに、まだ時間じゃないでしょ・・・?」
「一通り終わったからちょっとだけ戻ってきた。おまえ、死にたいのか?」
「はぁ?」
アスランの神妙な顔に、キラは思考をめぐらせた。
最近特に死を覚悟するような瞬間はなかったはずだが。
「フラガさんに言われて気が付いた。おまえ、食べてないだろう」
「・・・ああ」
キラの表情が一瞬にして消えた。
触れてほしくなかった話だ。
アスランは気づいていないみたいだから、ほかの人も気づいていないと思っていたのに。
フラガの勘のよさを久々に呪った。
「最近おまえが食堂に来なくなったって。いろんな人に訊いたら、最近食堂に来てないって言うじゃないか」
「・・・べつに」
「風邪引いたりしてるわけじゃないんだろう?」
キラが身体を預けているベッドに、アスランが座る。
さらりと髪を撫でられて。
「顔色はずっと悪かったけど・・・ほんと、痩せたんじゃないか?」
「ちょっと、食欲なくて」
「いつから」
射抜くような目が、怖い。
「ちょっと前」
「具体的に」
叱るような声に諦めて、キラは嘆息した。
「この艦に乗ったときから、あの時まで食べられなくて。あの後ちょっと食べ始めたんだけど、最近また」
あの時 が指すのは、あの二人の死闘だとわかった。
あれからそんなに時は経っていない。
食べていた期間を逆算して、戦争が始まった時期と照らし合わせて、アスランは唖然とした。
「おまえ・・・! ちょ、身体見せろ!」
「うわ! アスランのえっち!」
「冗談言ってる場合か!」
キラをベッドに押し倒して着ているシャツを捲り上げて、今度こそ言葉を失った。
痩せすぎた身体。
浮いた骨。
筋肉の衰えた腹。
正常な16歳男子の身体ではない。
「なんで今まで気づかなかったんだ・・・」
アスランは頭を抱えた。
身体のラインが出るパイロットスーツを着ていても気づかないくらい、自分に余裕がなかったことに心底腹が立った。
あれだけ軍で鍛えた精神はどこにいった。
「最近いつ食べた?」
「うー・・・あ、昨日、栄養パック飲んだ」
「その前」
「・・・その、二日前? サンドイッチふたつ」
そこで訊くのはやめた。
これ以上は聞くに堪えない。キラも思い出せないだろう。
「こんな身体で・・・。貧血とかは?」
「時々眩暈がする、かな。あとはわりと平気」
コーディネイターって丈夫だね とキラはなんでもないことのように笑った。
精神が疲弊してくると、過剰に栄養を摂取するパターンと、その逆がある。
栄養を過剰摂取するのは、まぁこんな状況だ。多少消費できる。
だがキラの場合は逆だ。
それは単純に健康の問題だけではない。
この場合、生死に関わる。
もし戦闘時に貧血で気を失いでもしたら?
「ほかに症状は・・・?」
まさかと思いつつ、訊いてみる。
「ほか?」
「食事のほかに、ひどく落ち込むとか、眠れないとか・・・」
死にたくなる とか。
「あ、不眠症、ってやつ、かな?」
最悪のパターンではない。
だが、最良でもない。
「寝てない? 睡眠時間は?」
「寝つきが悪くて、寝ても細切れ。目が覚めちゃうんだ」
睡眠不足は集中力低下の要因になる。
軍でもストレスがかかる戦場での注意事項として習ったことだ。
「十分な栄養と睡眠が、命を繋ぐなによりの糧だ」と。
「・・・ちょっと待ってろ」
「アスラン?」
「待ってろ!」
強い語調で言われて、すっかり萎縮したキラはただ一人部屋に残された。
ストレスのかかる環境での精神的病気の症例は、アカデミーで習った。
常識的な話が多かったが、「心の弱さが人を殺す」という教官の言葉が気にかかってまじめに話を聞いた。
イザークやディアッカは馬鹿にしていた話だったが、アスランはその通りだと思ったのだ。
人の弱さが、この状況を招いたのだと、今でも思う。
争いなど、殺し合いなど、弱い人間のすることだ。
「すいません、すこし、お借りしてもいいですか?」
厨房に立っていた男性に声をかけると、気さくに「腹でも減ったか?」と彼は笑った。
「成長期は食べて寝るのが一番だからな。この状況じゃ、『腹が減っては戦はできぬ』のほうだけどな!」
ずきり と、胸が痛んだ。
違う。キラに戦いを強いるために食べさせるんじゃない。
生きるためだ。
この世界を、生き抜くためだ。
そう、自分に言い聞かせて、気が付いた。
キラは心の底で、『戦えない状態になればいい』と思っていたら?
10分程度で、アスランは部屋に戻ってきた。
「なに、それ?」
「ホットミルク。砂糖多め。胃が弱ってるだろうから、いきなり重いものは無理だろう?」
差し出されたカップを眺めて、キラは「うーん」と唸る。
「いいから。ほら」
突き出されたそれを嫌々受け取って、ベッドの上で行儀悪く胡坐をかいた。
諦めるしかないか。
アスランは見張るように、ベッドサイドに立ったままだ。
ふー と息で熱を飛ばして、一口舐める。
甘い味が口の中に広がる。
「あんまり熱くしてないから。飲んで」
横から言われて、また一つため息を落としてごくりと飲む。
猫舌のキラに合わせたように、少し温めのミルク。
「アスランが作った?」
「ああ。仕事してる人の邪魔をするわけにはいかないだろ?」
「そっか。じゃ、全部飲む」
え? と訊き返すアスランを無視して、キラは勢いよくカップの中身を飲み干した。
「ごちそうさま」
「そんなに一気に飲んで大丈夫か?」
「へーき。ありがと」
カップを返すと、アスランが躊躇いがちにそれを受け取る。
気が済んで仕事に戻ってくれると思ったら、アスランはカップをデスクに置いてまたベッドサイドに戻ってきた。
「今度はなに?」
「眠れないなら、睡眠剤使うか?」
心底心配しています と顔に書いてある。
わかりやすいなぁ と笑って、キラは後ろに倒れた。
頭を枕が受け止めてくれる。
「あれ、嫌い。起きたときの頭痛ひどいんだ」
「キラ、寝つきはよかったのにな」
「だねぇ」
アスランがベッドの端に腰掛けて、スプリングの悪いベッドが軋む。
「ほかに、隠してることは?」
「ないよ。ほんと、この二つだけ」
真摯な瞳に、キラもまじめに返す。
自覚しているのがこれだけなのは本当だ。
無自覚で、ほかに何かあるかもしれないけれど。
「・・・今の状況、嫌か?」
「?」
アスランの独白のような呟きに、キラは訊き返すことを躊躇った。
「戦うこと、争うこと、殺しあうこと。限られた空間での、限られた人間だけでの生活。強制される仕事」
アスランの手のひらが、キラの頬を撫でていく。
「大人ばかりの空間。慣れないモビルスーツ。ぐるぐる変わる土地と環境」
手のひらが髪に触れて、そのまま梳いていく。
「誹謗、中傷、殺したのに褒められて、傷つけられたら死んでしまう状況」
キラの前髪を指で掬い上げて、はっきりとした視界にアスランの瞳だけが明るく映った。
「怖いか?」
見抜かれた。
慌てて目をそらしたけれど、アスランの瞳はまだキラを見つめたままだ。
「怖い、なんて、言ってられないじゃない・・・」
「キラはもともと民間人だ。俺とは違って、訓練されてない。戦闘能力も、精神も肉体も」
「でも、やらなきゃ」
「嫌なら逃がしてやる」
アスランの言葉に身体が震えた。
恐る恐る、アスランの表情を伺った。
「キラがどうしても嫌だ、耐えられないって言うなら、俺がどうにでもしてやる」
深い碧が、細められて。
「答えて。嫌、か?」
どう答えていいのかわからなかった。
嫌なものは嫌だ。もともと望んで戦争に参加したわけじゃない。
でも、ここに戻ると決めたのも自分で。
戦うと決めたのは自分で。
いまさら。
「怖いなら、泣いていいよ」
ぴくりと、肩が揺れた。
「俺はもう、そういう感覚が麻痺したけど・・・。キラは、残ってるだろう?」
そんなもの、無いほうが今は楽で。
失くしたフリをしているのに。
「残ってるほうが正しいんだ。怖かったら泣いていい。嫌だって叫んでいい」
アスランの身体がゆっくりとキラの半身を包んで。
「言って、キラ。思ってること全部」
箍が外れたように、涙が零れた。
「怖い、よ」
震える両手を持ち上げて、アスランの背に縋った。
「怖いよ、嫌だよ、逃げたいよ」
「・・・うん」
「ほんとは、ここに戻ってくるの、嫌、で」
「・・・うん」
ぎゅっと、アスランが強く抱きしめてくれる。
安心して涙が止まらない。
「でも、僕がもどってこなきゃ、みんな死んじゃって」
「・・・うん」
「守らなきゃいけなくて」
うん、と、アスランは頷く。
「なのに誰も、守ってくれなくて・・・」
頭をアスランの肩に押し付けて、キラは声を絞り出す。
「アスランが来てくれるまで、ぼく、ひとりぼっちだった・・・」
ああ、だからか。
シフトを分けたせいで、生活がまるで逆な二人だ。
別の部屋にしたほうが互いに気にせずすむと、艦長であるマリューは最初、アスランの部屋を別に用意してくれたのだ。
だが、キラが嫌がった。
パイロット同士、話すことも多いし、空間を共有することで相手の空気を読みやすくなるんだ と。
もっともな話だ。
だが、アスランとキラだ。
互いの呼吸など知り尽くしていて、よく考えればいまさらな理由だった。
少し考えればすぐわかることだった。
キラはいつだって、アスランに助けを求めていたのだ。
「気づかなくて、ごめん・・・」
強くキラの頭を抱きこんでやると、キラはびくりと身体を跳ねさせて、堰を切ったように声を上げて泣き始めた。
こんなに強く、自分を求めてくれていたのに。
こんなに近くにいたのに。
気づかなくて、ごめん。
泣きつかれたのか気を失うように寝込んだキラをベッドに寝かせて、アスランは嘆息した。
戦場にあと何人、こんな人がいるのだろう。
キラのように一人で艦を守った者は少ない。守ろうとして、皆死んでいった。
生き残ることがこんなにも辛い世界に、はたして守る価値はあるのだろうか。
キラの頬に残った涙を指で拭ってやって、思案する。
違う。今の世界に価値がないから、変えたいんだ。
だから戦うことを選んだ。
だから力を身につけた。
だから心を殺した。
だから、人を殺した?
矛盾が渦巻いて、思考の穴に嵌った。
自分の行いすべてが矛盾している。
「ん・・・」
キラが縋るようにアスランに擦り寄ってくる。
その髪を飽きることなく、アスランは撫でた。
この命を守るために、戦ってきた。
守ろうとして、殺そうとして、そして今度こそ守ろうと思って。
「俺の世界の中心、かな」
こいつは。
「今度は、今度こそ・・・」
守って見せるから。
おまえと、おまえの望む世界を。
だから。
「生きような、一緒に」
アスランの囁きに、キラが笑った気がした。
どんなことをしても。
この手がどんなに汚れても。
大丈夫だよ。
ずっと一緒だよ。
「俺も、一緒に汚れるから」
キラのために。
断罪のように、アスランは目を閉じた。
病んでるキラさまと、闇んでるアスラン。
「ふぇ?」
アスランの呟きに、眠りに付く寸前だったキラが気の抜けた声を上げた。
アスランがAAに来て、キラの言うままにアスランとキラは同じ部屋を使うことになった。
シフトで動いているAAで、数少ないパイロットであるアスランとキラは当然シフトが被っていない。
アスランが仕事を終えて部屋に戻ると、入れ替わりにキラが仕事に就く。
一日1時間、一緒に居られればいいほうだ。
だから、今まで気づかなかった。
キラが、食事をしていない事実に。
「なに、まだ時間じゃないでしょ・・・?」
「一通り終わったからちょっとだけ戻ってきた。おまえ、死にたいのか?」
「はぁ?」
アスランの神妙な顔に、キラは思考をめぐらせた。
最近特に死を覚悟するような瞬間はなかったはずだが。
「フラガさんに言われて気が付いた。おまえ、食べてないだろう」
「・・・ああ」
キラの表情が一瞬にして消えた。
触れてほしくなかった話だ。
アスランは気づいていないみたいだから、ほかの人も気づいていないと思っていたのに。
フラガの勘のよさを久々に呪った。
「最近おまえが食堂に来なくなったって。いろんな人に訊いたら、最近食堂に来てないって言うじゃないか」
「・・・べつに」
「風邪引いたりしてるわけじゃないんだろう?」
キラが身体を預けているベッドに、アスランが座る。
さらりと髪を撫でられて。
「顔色はずっと悪かったけど・・・ほんと、痩せたんじゃないか?」
「ちょっと、食欲なくて」
「いつから」
射抜くような目が、怖い。
「ちょっと前」
「具体的に」
叱るような声に諦めて、キラは嘆息した。
「この艦に乗ったときから、あの時まで食べられなくて。あの後ちょっと食べ始めたんだけど、最近また」
あの時 が指すのは、あの二人の死闘だとわかった。
あれからそんなに時は経っていない。
食べていた期間を逆算して、戦争が始まった時期と照らし合わせて、アスランは唖然とした。
「おまえ・・・! ちょ、身体見せろ!」
「うわ! アスランのえっち!」
「冗談言ってる場合か!」
キラをベッドに押し倒して着ているシャツを捲り上げて、今度こそ言葉を失った。
痩せすぎた身体。
浮いた骨。
筋肉の衰えた腹。
正常な16歳男子の身体ではない。
「なんで今まで気づかなかったんだ・・・」
アスランは頭を抱えた。
身体のラインが出るパイロットスーツを着ていても気づかないくらい、自分に余裕がなかったことに心底腹が立った。
あれだけ軍で鍛えた精神はどこにいった。
「最近いつ食べた?」
「うー・・・あ、昨日、栄養パック飲んだ」
「その前」
「・・・その、二日前? サンドイッチふたつ」
そこで訊くのはやめた。
これ以上は聞くに堪えない。キラも思い出せないだろう。
「こんな身体で・・・。貧血とかは?」
「時々眩暈がする、かな。あとはわりと平気」
コーディネイターって丈夫だね とキラはなんでもないことのように笑った。
精神が疲弊してくると、過剰に栄養を摂取するパターンと、その逆がある。
栄養を過剰摂取するのは、まぁこんな状況だ。多少消費できる。
だがキラの場合は逆だ。
それは単純に健康の問題だけではない。
この場合、生死に関わる。
もし戦闘時に貧血で気を失いでもしたら?
「ほかに症状は・・・?」
まさかと思いつつ、訊いてみる。
「ほか?」
「食事のほかに、ひどく落ち込むとか、眠れないとか・・・」
死にたくなる とか。
「あ、不眠症、ってやつ、かな?」
最悪のパターンではない。
だが、最良でもない。
「寝てない? 睡眠時間は?」
「寝つきが悪くて、寝ても細切れ。目が覚めちゃうんだ」
睡眠不足は集中力低下の要因になる。
軍でもストレスがかかる戦場での注意事項として習ったことだ。
「十分な栄養と睡眠が、命を繋ぐなによりの糧だ」と。
「・・・ちょっと待ってろ」
「アスラン?」
「待ってろ!」
強い語調で言われて、すっかり萎縮したキラはただ一人部屋に残された。
ストレスのかかる環境での精神的病気の症例は、アカデミーで習った。
常識的な話が多かったが、「心の弱さが人を殺す」という教官の言葉が気にかかってまじめに話を聞いた。
イザークやディアッカは馬鹿にしていた話だったが、アスランはその通りだと思ったのだ。
人の弱さが、この状況を招いたのだと、今でも思う。
争いなど、殺し合いなど、弱い人間のすることだ。
「すいません、すこし、お借りしてもいいですか?」
厨房に立っていた男性に声をかけると、気さくに「腹でも減ったか?」と彼は笑った。
「成長期は食べて寝るのが一番だからな。この状況じゃ、『腹が減っては戦はできぬ』のほうだけどな!」
ずきり と、胸が痛んだ。
違う。キラに戦いを強いるために食べさせるんじゃない。
生きるためだ。
この世界を、生き抜くためだ。
そう、自分に言い聞かせて、気が付いた。
キラは心の底で、『戦えない状態になればいい』と思っていたら?
10分程度で、アスランは部屋に戻ってきた。
「なに、それ?」
「ホットミルク。砂糖多め。胃が弱ってるだろうから、いきなり重いものは無理だろう?」
差し出されたカップを眺めて、キラは「うーん」と唸る。
「いいから。ほら」
突き出されたそれを嫌々受け取って、ベッドの上で行儀悪く胡坐をかいた。
諦めるしかないか。
アスランは見張るように、ベッドサイドに立ったままだ。
ふー と息で熱を飛ばして、一口舐める。
甘い味が口の中に広がる。
「あんまり熱くしてないから。飲んで」
横から言われて、また一つため息を落としてごくりと飲む。
猫舌のキラに合わせたように、少し温めのミルク。
「アスランが作った?」
「ああ。仕事してる人の邪魔をするわけにはいかないだろ?」
「そっか。じゃ、全部飲む」
え? と訊き返すアスランを無視して、キラは勢いよくカップの中身を飲み干した。
「ごちそうさま」
「そんなに一気に飲んで大丈夫か?」
「へーき。ありがと」
カップを返すと、アスランが躊躇いがちにそれを受け取る。
気が済んで仕事に戻ってくれると思ったら、アスランはカップをデスクに置いてまたベッドサイドに戻ってきた。
「今度はなに?」
「眠れないなら、睡眠剤使うか?」
心底心配しています と顔に書いてある。
わかりやすいなぁ と笑って、キラは後ろに倒れた。
頭を枕が受け止めてくれる。
「あれ、嫌い。起きたときの頭痛ひどいんだ」
「キラ、寝つきはよかったのにな」
「だねぇ」
アスランがベッドの端に腰掛けて、スプリングの悪いベッドが軋む。
「ほかに、隠してることは?」
「ないよ。ほんと、この二つだけ」
真摯な瞳に、キラもまじめに返す。
自覚しているのがこれだけなのは本当だ。
無自覚で、ほかに何かあるかもしれないけれど。
「・・・今の状況、嫌か?」
「?」
アスランの独白のような呟きに、キラは訊き返すことを躊躇った。
「戦うこと、争うこと、殺しあうこと。限られた空間での、限られた人間だけでの生活。強制される仕事」
アスランの手のひらが、キラの頬を撫でていく。
「大人ばかりの空間。慣れないモビルスーツ。ぐるぐる変わる土地と環境」
手のひらが髪に触れて、そのまま梳いていく。
「誹謗、中傷、殺したのに褒められて、傷つけられたら死んでしまう状況」
キラの前髪を指で掬い上げて、はっきりとした視界にアスランの瞳だけが明るく映った。
「怖いか?」
見抜かれた。
慌てて目をそらしたけれど、アスランの瞳はまだキラを見つめたままだ。
「怖い、なんて、言ってられないじゃない・・・」
「キラはもともと民間人だ。俺とは違って、訓練されてない。戦闘能力も、精神も肉体も」
「でも、やらなきゃ」
「嫌なら逃がしてやる」
アスランの言葉に身体が震えた。
恐る恐る、アスランの表情を伺った。
「キラがどうしても嫌だ、耐えられないって言うなら、俺がどうにでもしてやる」
深い碧が、細められて。
「答えて。嫌、か?」
どう答えていいのかわからなかった。
嫌なものは嫌だ。もともと望んで戦争に参加したわけじゃない。
でも、ここに戻ると決めたのも自分で。
戦うと決めたのは自分で。
いまさら。
「怖いなら、泣いていいよ」
ぴくりと、肩が揺れた。
「俺はもう、そういう感覚が麻痺したけど・・・。キラは、残ってるだろう?」
そんなもの、無いほうが今は楽で。
失くしたフリをしているのに。
「残ってるほうが正しいんだ。怖かったら泣いていい。嫌だって叫んでいい」
アスランの身体がゆっくりとキラの半身を包んで。
「言って、キラ。思ってること全部」
箍が外れたように、涙が零れた。
「怖い、よ」
震える両手を持ち上げて、アスランの背に縋った。
「怖いよ、嫌だよ、逃げたいよ」
「・・・うん」
「ほんとは、ここに戻ってくるの、嫌、で」
「・・・うん」
ぎゅっと、アスランが強く抱きしめてくれる。
安心して涙が止まらない。
「でも、僕がもどってこなきゃ、みんな死んじゃって」
「・・・うん」
「守らなきゃいけなくて」
うん、と、アスランは頷く。
「なのに誰も、守ってくれなくて・・・」
頭をアスランの肩に押し付けて、キラは声を絞り出す。
「アスランが来てくれるまで、ぼく、ひとりぼっちだった・・・」
ああ、だからか。
シフトを分けたせいで、生活がまるで逆な二人だ。
別の部屋にしたほうが互いに気にせずすむと、艦長であるマリューは最初、アスランの部屋を別に用意してくれたのだ。
だが、キラが嫌がった。
パイロット同士、話すことも多いし、空間を共有することで相手の空気を読みやすくなるんだ と。
もっともな話だ。
だが、アスランとキラだ。
互いの呼吸など知り尽くしていて、よく考えればいまさらな理由だった。
少し考えればすぐわかることだった。
キラはいつだって、アスランに助けを求めていたのだ。
「気づかなくて、ごめん・・・」
強くキラの頭を抱きこんでやると、キラはびくりと身体を跳ねさせて、堰を切ったように声を上げて泣き始めた。
こんなに強く、自分を求めてくれていたのに。
こんなに近くにいたのに。
気づかなくて、ごめん。
泣きつかれたのか気を失うように寝込んだキラをベッドに寝かせて、アスランは嘆息した。
戦場にあと何人、こんな人がいるのだろう。
キラのように一人で艦を守った者は少ない。守ろうとして、皆死んでいった。
生き残ることがこんなにも辛い世界に、はたして守る価値はあるのだろうか。
キラの頬に残った涙を指で拭ってやって、思案する。
違う。今の世界に価値がないから、変えたいんだ。
だから戦うことを選んだ。
だから力を身につけた。
だから心を殺した。
だから、人を殺した?
矛盾が渦巻いて、思考の穴に嵌った。
自分の行いすべてが矛盾している。
「ん・・・」
キラが縋るようにアスランに擦り寄ってくる。
その髪を飽きることなく、アスランは撫でた。
この命を守るために、戦ってきた。
守ろうとして、殺そうとして、そして今度こそ守ろうと思って。
「俺の世界の中心、かな」
こいつは。
「今度は、今度こそ・・・」
守って見せるから。
おまえと、おまえの望む世界を。
だから。
「生きような、一緒に」
アスランの囁きに、キラが笑った気がした。
どんなことをしても。
この手がどんなに汚れても。
大丈夫だよ。
ずっと一緒だよ。
「俺も、一緒に汚れるから」
キラのために。
断罪のように、アスランは目を閉じた。
病んでるキラさまと、闇んでるアスラン。