突然死された娘さんのお参りに来られたお母さんと妹さんと姪御さんがお参りに来られました。
本人もビックリですよね。そして家族は日がたつにつれて哀しみや寂しさが募ります。 最後に何を考えてただろう?
もっと話しとけばよかった。
あいたいなあ。
親より先に子が亡くなることは本当につらいですよね。
前の日まで普通だったたのに。
なぜだろう。
わからないけど。
つらいです。
いつか、仏様の国に戻った時に会えるまで、こちらの世界からお参りするしかない
なぜだろう?
人の人生とか寿命ってわからないですね。
お互いに元気な時には、感じない事が多いです。当たり前だと思ってる事が急に当たり前でなくなる。
忙しくても、会いたい人や、大切な家族には電話でも又、お盆休みなどの長期休暇にはあっておく。
色々忙しかったからなあー。と後で後悔しないように🙏🏻
お寺にいると沢山の方々の死に様にあう。
そして、ほとんどの遺族の方々は「もっと、話を聞いとけばよかった。」といわれる。
きっと、聞いても聞いても後悔はあるのかもしれない。
人の感覚は、人それぞれだしなあ。
毎日会ってても会い足りないってこともあるし。
お寺に足を運び家族で亡き人のお参りをして、お互いの思い出話しを共有する。知らなかったことや、違う立場から聞いた話しなどしてると、その話しの座に供養して貰う亡き方も混ざってるような感覚になる。
いたら。こういうだろなあ。と
供養したあとの座は大切だと私は強く思う。
食事をしながら語り合ったり。
お茶をしながら語りあう座。
それが日本の弔いの供養なのではないだろうか?
お経を上げて座を、もうけて話し合う語り合う。
いつも聞いてる話かもしれないが、何度も聞いた話は、まるで自分も見てきたかのように話せるようになる感覚でなき方を共有する。
そんな日本の文化を無くしたくない。
集い祈り語り合うが法事のいいところです。
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