八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

四十九日

2010-08-29 22:11:35 | インポート
祖母の49日の法要がありました。

なんだか、婆ちゃんが居ない実感の無いままです。

『婆ちゃん、みたいに成りたい』と私達、女性の孫は小さい頃から皆言ってました。
つまり。しっかり者の爺ちゃんの横で自由でオシャレして暮らす。
みたいな…。

今回も爺ちゃんが家を出た子供三人に婆ちゃんの位牌を用意して持たせてくれました。


婆ちゃんが居なくなり寂しい中、婆ちゃんの位牌を作り私達がなかなか仕事で徳泉寺に参りに行けないけど各自の家からなら毎日、手を合わせられるからとの配慮が凄いと思いました。

そして一人一人の近くに婆ちゃんを感じられるのが嬉しいです。

好きだった食べ物やお花をお供えできるし。

近くで見守ってくれてる感が嬉しいです。

生前、父と祖母は夜遅くまで、お酒をのみながら『それは違う』『いいや違う』とか言い合いしながらも『私達は何か考え方が似てるよね』と最後には、いつも同感同感で締めくくってたので二人が大好きなビールを供えたら二人で呑んでる気がします。

婆ちゃんの認知症の初期の頃は『なんで。こんなに忘れるんやろ~か悲しいねえ』ばかり言って悩み胃潰瘍になってましたが段々、認知症が進につれ悔やまなくなり『忘れる』事さえわからなくなった祖母(本人は心が楽になり)を怒りつつも亡くなる1ヶ月前までは同じベッドで寝ながら見守り続けた祖父。
『こんな爺さんと同じベッドは嫌、私のお父さんはどこ?』
『この、お爺さん親戚でも無いのに口うるさい』
など若き日の祖父しか思い出せない祖母を相手に過ごすのは、辛かったと思いますし。
それでも話し相手に成らなくても。
いつも横に居ました。
小さな時(祖父は小学生の時に徳泉寺に養子に来た)から一緒だったし。

6歳年が離れてたから、物心付いた時から婆ちゃんの世話を焼いてきたと思う。

そんな人が居なくなったらポカーンと心に穴が空くのがあたりまえなのかも…。

そして婆ちゃんは爺ちゃんをとても愛していたし。爺ちゃんも婆ちゃんを愛してるから出来た事だとおもう。

婆ちゃんの分も爺ちゃんには元気に楽しく長生きして欲しい。

爺ちゃんは生真面目で口うるさいが直ぐ行動に興すのは凄いとおもう。
法事の後の食事の席で『爺ちゃんは坊さんの酒飲みは大スカンぞ!』とインゲに喝を入れていた。

インゲは気の毒だがそのカツに、まだまだ大丈夫そうやなあ。
と皆で『ニヤリ』
オジサマ連中は逃げ出した後でインゲさんは集中攻撃でした。
喝!は孫婿の身体を心配しての事と有り難く『喝』をお受けいたしました。


祖父の気配りを見習わねば。と又一つ勉強に成りました。


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