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誇りある旭日旗が甦る

2018年10月25日 | 日本・国士
平成30年10月25日(木)

先の十月十一日の韓国済州島における韓国主催の国際観艦式の実施に際し、
韓国政府が、参加各国に対して、参加する軍艦には、
「自国国旗と韓国国旗だけをマストに掲揚することが原則」だと通告した。
つまり韓国は、我が国に対して
自衛艦に自衛艦旗を掲揚するなと通告してきたのだ。
その魂胆は、
我が自衛艦旗は朝鮮を植民地支配して痛めつけた大日本帝国の軍艦旗と同じだから、
その軍艦旗つまり自衛艦旗を韓国領海内で掲げさせないということだ。
まことに、これが、朝鮮。
ありもしない被害を言い募る朝鮮的妄想による
我が国への国際慣例を無視した不当要求である。
よって、我が海上自衛隊は、
この観艦式への自衛艦派遣を拒否した。
これは、当然の拒否である。

この事態に際して、当初私は、
また韓国(南朝鮮)が、アホなことをやっとる。
このような、国際社会から嘲笑されることをする南朝鮮の無礼な言動に対して、
いちいち反応すること自体、馬鹿馬鹿しい、と何もコメントしなかった。
しかし、
我が海上自衛隊にとって、この韓国の非礼は、
自衛艦旗を侮辱したもので、
憤懣おさまり難いものであった。
それ故、
複数の海上自衛隊元提督が、マスコミでこの韓国の非礼に対する論考を書き、
本日、十月二十五日になっても、
伊藤俊幸元提督が、産経新聞の「正論」に
「自衛隊の誇りを汚した文氏の非礼」
と題する一文を書かれている。

海上自衛隊提督達の、この憤慨は無理もない、当然の反応だ。
何故なら、海上自衛官は、この自衛艦旗のもとで、
国のために命をかける人生を送ってきたのだ。
それを、韓国の北朝鮮の走狗上がりの文に侮辱された憤懣は、
しばらく収まらなくて当然だ。
よって、私も、
自衛艦旗、軍艦旗、旭日旗について、心に甦ってきたことを書いておく。

旭日旗は、明治維新と共にあった。
この、赤い太陽を中心にして十六条または八条の太陽光線を描いた旭日旗は、
明治維新の戊辰の役において官軍が掲げた。
そして、帝国陸海軍の創設と共に、
旭日旗は、
陸軍の軍旗となり海軍の軍艦旗となった。
大東亜戦争の終戦にあたり我が国が調印した降伏文書によって、
帝国陸海軍の歴史は終焉を迎えたが、
旭日旗は、
その後、創設された自衛隊に引き継がれ、
陸上自衛隊旗および海上自衛隊の自衛艦旗となって現在に至っている。

私が、最初に接した旭日旗すなわち軍艦旗に関する記述は、
高校生の時、吉田満著「戦艦大和の最後」にあった。
昭和二十年四月七日、
天一号作戦即ち沖縄特攻作戦により
沖縄に向けて出撃中の戦艦大和は、徳之島北西二百マイルの洋上で、
アメリカ軍の航空機三百八十六機による波状攻撃を受け、
14:20に沈没する。
戦死二七四〇名、生存者二六九名であった。
その沈没の前、
雷撃によって大和が左舷に二〇度傾き、
傾斜復旧不能、即ち、沈没確実となったとき、
艦長は「総員上甲板」の命令を発した。
以下は、
その命令に従って甲板に向かった
海軍少尉で副電測士として大和に乗り込んでいた
吉田満氏の格調高き記述である(戦艦大和の最後、より)。

・・・   ・・・   ・・・   ・・・

見張窓を出テ艦橋右側ニ立テバ・・・
右舷舷側ノ茶褐色ノ腹ニ生存者整列シテ、
一斉ニ双手ヲ挙ゲタリ マサニ萬歳三唱ヲ了セントスル瞬時ナルヘシ

艦長有賀幸作大佐御最期
艦長最上部ノ防空指揮所ニアリテ、鉄兜、防弾「チョッキ」ソノママ、
身三カ所ヲ羅針盤ニ固縛ス
暗号書、総員上甲板ノ下命等、最後ノ処置完了、萬歳三唱ヲ発唱シ、
コレヲ了ルヤ傍ラノ見張員生存者四名ヲ顧ミル
彼ラ、剛毅、赭顔ノ艦長ヘノ心服ノアマリ、ソノ身辺ヲ離ルル能ハズ
総員死ヲ共ニスル気配明ラカナルヲ見テ、
一人一人肩ヲ叩キ、「シッカリヤレ」ト激励シツツ水中ニ突キ落トス
最後ノ兵、彼ガ微衷ヲ示サントテカ、
喰ヒ残シノ「ビスケット」四枚ヲ、艦長ガ掌ノ内ニ残シ行クヲ、
艦長ニヤリトシテ受ケ、二枚目ヲ口ニシタルママ、
艦トトモニ渦ニ呑マレタリトイフ 
カカル折ニ、「ビスケット」ヲ喰ラフ豪胆ハ無類ナリ
以上、見張長ノ言ナリ 
彼モマタ艦長ノ傍ラヲ離ルル能ハズ、肩ヲ触レツツ水中ニ没セルモ、
ワガ身ニ固縛ヲ強ヒザレバ浮上シタルナリ

前橋頂ニハタメク大軍艦旗、傾キテマサニ水ニ着カントス
見レバ少年兵一名、身ヲ挺シテソノ根元ニ挙ヂノボル
沈ミユク巨艦ノ生命、軍艦旗ニ侍セントスルカ
カカル命令ノ発セラルルコト、有リ得ズ
サレバ彼、
ミズカラコノ栄エアル任務ヲ選ビタルナリ
如何ニソノ死ノ誇ラカナリシヲ

目ヲ落トセバ、屹立セル艦体、露出セル艦底、巨鯨ナドトイフモ愚カナリ
長サ二百七十米、幅四十米ニ及ブ鉄塊、今ヤ水中ニ踊ラントス

次に、大学時代に読んだ「坂の上の雲」において、
司馬遼太郎氏は、
明治三十八年五月二十七日に始まる日本海海戦において、
ネボガトフ提督が率いるロシアの第三太平洋艦隊が降伏した状況を書ていた。
軍艦旗が持つ意義が明確に顕れたものだ。
我が連合艦隊は、
五月二十七日にロシアバルチック艦隊主力を撃滅し、
翌二十八日、ネボガドフ提督率いるロシア第三太平洋艦隊を追撃する。
その時、連合艦隊が一方的にロシア艦隊を砲撃し、
彼は全く反撃をしなかった。戦意喪失して降伏の意図を示していること明らかだった。
しかし、東郷平八郎司令長官は、砲撃を続行する。
これに対して、ロシア艦隊は機関を停止した。
しかし、東郷司令長官は、なお砲撃を続行した。
そして、ロシア艦隊が、その「軍艦旗」を下ろしたのを確認して
始めて砲撃中止を命じた。

これで明らかなように、
軍艦が、軍艦旗を下ろすとは、降伏するということだ。
つまり、韓国は、我が自衛艦に、
軍艦旗を下ろせ、つまり、降伏せよ、と要求したのだ。
我が海上自衛隊が、腹の底から怒ったのは当然ではないか。

最後に、スハルト時代に
私がジャカルタでインドネシア海軍参謀総長と会ったとき
彼が言ったことを紹介する。
通訳は、今は亡き、ジャワ派遣軍の下士官であった中島愼三郎氏であった。
参謀長は、言った。

はやく、日本海軍が、このマラッカ海峡に姿を現してほしい。
日本海軍の、あの軍艦旗を見れば、
チャイナの海賊など一目散に逃げてしまうよ。
残念ながら、
あいつらの船の方が我がインドネシア海軍の船より速く、
それで、われわれは海賊に手こずっているんだ。

また、元海上自衛官の恵竜之介さんが言っているが、
イギリスの海軍士官と会った時、
彼は、日本の海上自衛隊を高く評価して言った。
日本の海上自衛隊は素晴らしい、
何故なら、負けても軍艦旗を変えなかったからだ。
これに対して、ドイツは、軍艦旗を変えた、だからだめだ。


以上の通り、
韓国の文の非礼のおかげで、
我が「旭日旗」、「軍艦旗」、「自衛艦旗」の価値と栄光が私の中で甦った。
国難が迫っている。
我ら日本国民は、
再びこの誇りある旗の元で、祖国日本を護るために戦おう!


西村眞悟の時事通信より。















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