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八月に憂慮すべきこと、カジノと靖國神社に参拝できない総理大臣の憲法改正論

2019年08月28日 | 日本・国士

令和1年8月28日(水)
八月二十日の産経新聞朝刊の「正論」の末尾に、
京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が、

カネをばらまいて株価を上げ、
訪日外国人がいくらカネをおとしてくれたと喜び、
日米関係の強化で平和を守ればよいという『現実』を
そのまま擁護も賛美もするわけにはいかないのが『保守』であろう。
令和元年は戦後74年である。
この時代は、ほんとうに『保守』が問われる時代となろう。

と書かれている。
そこで、この八月二十日現在の「現実」で、
そのまま擁護も賛美もするわけにはいかない憂慮は何か。
それを三つほど挙げれば、
第一に、総理大臣が靖國神社に参拝できないことである。
第二に、横浜市の、横浜港の「山下埠頭」へのカジノ(複合観光施設)誘致決定。
第三に、いわゆる憲法改正論争の低次元だ。

まず、第一の痛恨事。
安倍総理は、かねてから、八月十五日に、靖國神社に参拝できないことを
「痛恨の極み」と公式に答弁している。
これはつまり、
靖國神社に参拝すべきであるが、参拝できない事情があって参拝できない。
よって、「痛恨のの極み」ということである。
では、参拝できない事情とは何か。
それは、参拝すれば、中国や韓国が我が国を非難して騒ぐということだ。
即ち、安倍総理は中国や韓国の意向に従って参拝できないということになる。
しかし、国家の首相や大統領が、
国のために戦場に赴き戦没した将兵を慰霊するのは、
普遍的で当たり前の「当然の責務」である。
しかし、我が日本では、
中国や韓国の反対を真に受けて戦没者の霊を祀る靖國神社に総理大臣が参拝できない。
これは、即ち、我が国は、
総理大臣が、彼らの内政干渉を受け入れ、その干渉に従っているということだ。
従って、安倍総理が靖國神社に参拝しないことは、安倍さん個人のことではなく、
国益を著しく害し、
国家を裏切るに等しい、まことに有害で痛恨なことである。
では、
彼らの執拗な内政干渉に従っている現状を如何にして打ち破るのか。
それは、簡単だ。
かつて、私は、安倍総理に勧めた。靖國神社に、毎日、参拝されたらどうか、と。
一年で八月十五日にだけ参拝しようとするから、中国と韓国が騒ぐのだ。
毎日、参拝すれば、はじめの三日くらいは騒ぐが、十日目からは疲れて騒がなくなる。
我が国は、彼らの内政干渉から開放される。
そして、総理大臣が、靖國神社に、当たり前に参拝することになれば、
それは天皇陛下の靖國神社への御親拝の環境が整ったことであり、
昭和天皇の願いを、
お孫さまの今上陛下が遂げられることとなる。
これは、我が国が当たり前の国に復元することである。
我が国では、政治のことを「まつりごと」と言う。
総理大臣の、靖國神社参拝は、
我が国の政(まつりごと)を取り戻す。つまり、「日本を取り戻す」ことである。
令和の御代になって初めての八月十五日に、
安倍さんは、この日本を取り戻す絶好の機を逸した痛恨の総理大臣となった。
無念である。

次に第二の憂慮
横浜市が、
カジノを目玉とするいわゆるIR法(総合型リゾート推進法)に基づき、
カジノを含む総合観光施設を「山下埠頭地区」に受け入れることを決めた。
その目的は、
国内はもちろん外国から大勢の長期滞在型観光客を受け入れて
カジノで博打をしてカネを使ってもらい、国と自治体がその収益で儲ける為だ。
このカジノに飛びつこうとしている自治体は、
横浜だけではなく、大阪も和歌山も東京も同じだ。
そして、このカジノを金のなる木と思い込んで受け入れに走る風潮は、
近年、増加の一途をたどる外国からの観光客が、
いくらカネを落としてくれたと喜ぶ矜持のない風潮と同じだ。
しかし、
我が国の観光地で国内外の観光客が落とすカネは、
その地域の商店に落ちるだろうが、
カジノに投入される巨額なカネを握るのは何処なのかと考えて欲しい。
我が国が、ウブな娘の如く無防備に誘致しようとしている
総合観光施設地域でカジノを運営しようと涎をながして待ち構えているのは、
例えば、メルコリゾート&エンターテイストとかラスベガス・サンズとか
MGMリゾーツ・インターナショナルとかの
ラスベガスやマカオで「博打」を手がけている外国の巨大はカジノのプロである。
ということは、
我が国内でカジノに流れ込んだカネを握るのは、
外国からやってきた彼ら外国の博打のプロだということになる。
目に見えるようではないか。
我が国に、ラスベガスやマカオのようなカジノができたと、
かつて、大阪千里丘陵のエキスポ70に群衆が集まったように、
多くの人びとが映画で見たカジノに群がり、カネをかける。
そのカジノを運営するのは外国のプロで、わざわざ外国から来る客もプロだ。
博打は、素人からプロがカネを巻き上げることになるので止められんのだ。
従って、我が国や自治体が目論む、
カジノに投入された巨大な収益を我が国の社会に還元できるハズがない。
不道徳だけが、インフルエンザのように素朴な日本社会に蔓延し、
日本人のカネは、皆、外国のプロに持って行かれる。
よって、
彼ら外国のカジノのプロ(ハイエナ)の思惑を挫き、
これに対抗する手段は一手しかない。
それは、日本では、
ルーレットとかの外国のカジノ特有の博打は一切させず、
我が国古来からの博打(花札や手本引やサイ本引)の親分を
任侠の世界から探しだして、
彼らに胴をとらせ、総合リゾートで客から寺銭をとって博打をすることだ。
この昔からの博打のプロが我が国に残っていたらの話であるが。
言っておくが、我が天皇の国の伝統を背景にもつ親分衆は、
外国のカジノのハイエナと並べれば、人間の格が違う。
しかし、清水の次郎長や新門の辰五郎のような親分がもういないのならば、
潔く、外国のカジノなど我が国に入れてはダメだ。
もともと、国や自治体が、
カジノ・博打でカネを儲けようとする発想自体が、卑しいのだ。
日本は、そこまで堕ちるのか。
この意味で、
横浜の「山下埠頭」にカジノを入れないと頑張っている
横浜の港で育ち「港の親父」と呼ばれる
藤木幸夫氏こそ貴重な慧眼の持ち主というべきだ。

最後に、
憲法改正に関する論者の低次元さは、まことに憂慮すべきだ。
この憲法に関する死活的な要点は、

この「日本国憲法と題する文書」を
残して国を滅ぼすのか、
廃棄して国を守るのか、

という問題なのだ。
改正論は、この「文書」を残すことを前提にした論である。
従って、この「文書」の
GHQが書いた日本占領統治原則という根幹が無傷で残る。
このジレンマを明確に実証している改正案例が
憲法九条に「自衛隊」を付記すると言う改正案である。
憲法九条には、
「陸海空軍は、これを保持しない」
「国の交戦権は、これを認めない」
と明記されている。
ここに並べて「自衛隊」を書き入れればどうなる!

八月二十四日と二十五日の二日間、
御殿場の陸上自衛隊東富士演習場で行われた
昼間二回と夜間一回、合計三回の陸上自衛隊富士総合火力演習を見学した。
まさに、これは、軍隊の交戦訓練である。
仮に、九条に自衛隊を明記すれば、
自衛隊は、この交戦訓練もできなくなるではないか!
この演習を見学していた防衛大臣、
目が節穴でなければ、分かっただろう!
要するに、そのような「改正」をすれば増悪する。どうにもならない。

中学生でも分かる単純明快な事実を見つめよ。
我が国を占領統治していた外国人が書いたものが
我が国の「憲法」であるハズがない!







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