岩淸水

心を潤す

長崎への原爆投下

2011年08月30日 10時03分02秒 | 歴史

  

長崎への原爆投下【歴史】

大東亜戦争の最中1945年(昭和20年)89日午前1102分に、アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して原子爆弾を投下した。当時の長崎市の人口24万人のうち約149千人が死亡した。建物は約36%が全焼または全半壊した。

この非戦闘員に対する、過酷な虐殺行為は、明々白々の 戦時国際法 違反であった。

 

日本人の多くは仏教徒であり、あるいは神道つまり神社の氏子である。

キリスト教徒は少なく、人口の 1%ていどと云われている。

「三尺流れれば水きよし。」つまり、すぎたことはサラリと忘れて根に持たない。仏教でも「因果応報」とは、良いことを積み重ねる功徳を説くことばであり、復讐をいうための概念とは観ていない。ところが、欧米の思想では、「歴史はくり返す。」つまり、遣られたならばやり返す。また、やったことには、必ず報復があるものだ。東京都への焼夷弾による、一般住民の大虐殺。これらの戦争犯罪を数え上げればきりがない。沖縄では将兵も合わせて、なんと24万人が、鉄の雨によって虐殺された。広島と長崎では、二種類の原子爆弾によって、日本人が虐殺の実験動物とされた。これらの非道は決して許されない。しかし、日本国は先帝陛下の苦渋の聖断により、軍備を放棄し、政府まで奪われてしまった。これから、われら日本人の「復讐」ではなく、復興の日々がはじまった。形に観えるものは、ほどなく復興した。ところが、精神に受けた傷は、あまりにも大きすぎた。

復讐を恐れた米英など連合国側は、じつに様々な手段を用いて、われら日本人の正常な判断力が芽生えることを阻害してきた。

様々な連合国側の虐殺神話のねつ造がそのひとつだ。

日本人は実数において、なんと 100万人もの非戦闘員を虐殺された。

 

これに対して対置された嘘が、アウシュビッツでのユダヤ人が遭ったとされる、600万人のホロコーストである。

そして、南京大虐殺とか、朝鮮人慰安婦の話が、これの変種である。

 

 


 ドレスデン空爆

ユダヤが独逸から追放されたというのは、眉につばをつけて再検証せねばならない。

本当は大量殺戮の、その巻き添えにならぬように、率先して脱出した。こちらの方が、正鵠を得た見方だと思われる。

逃げて助かったでは、如何にもユダヤは狡い。

 

このような評価をさけるために、600万人も虐殺された

このような、トンデモな嘘をついた。そして、欧州戦線での大量虐殺の、その罪科の追求を逃れようとしている。

 

 

 

欧米はキリスト教国だとは、一般に流布されている事だ。

しかし、真実はなかなか単純ではない。アメリカを建国した (侵略して先住民を虐殺した。これを無恥厚顔にも 「建国」 というは、彼らには侵略とか陵辱が当たり前だから。) のが、清教徒たちだという。それにしても、よくもまあ此のようなデタラメな訳をしたものだ。イベリア半島のスペインとかポルトガル。是に見切りをつけた、陰の支配者たち、つまりユダヤの金貸したちは、英国とかネーデルランドに居を移した。そこではカソリックと対立すべく新たな宗派をデッチ上げた。これが、プロテスタントであり、外殻はキリスト教ではあるが、内実はユダヤ教であった。この秘密は宗派の上位者にしか明かされていない。ユダヤ教徒は自分ら以外の宗教の信者を人間とは思っていない。ゴイとかゴイム (複数形での呼称) と名付けて、人とは見なさず獣と同等の豚にも等しい存在と見ている。

このような錯綜した思想があればこそ、キリスト教徒の多く住む長崎に原子爆弾を投下しても、この者たちは心を痛めることもない。

 

Atomic bombing of Nagasaki on August 9, 1945 

 

 

 

 

 

 2018 12 25 マスコミは、諜報宣伝の 残地部隊。【わが郷】 マスコミは、諜報宣伝の 残地部隊。

2014 03 30 困ったときには、嘘をつく 困ったときには、嘘をつく

 2017 07 16 自分は 被害者なんです。【わが郷・政治】

 

 

わたしの里の美術館【索引】我が郷は足日木の垂水のほとり【HOME】岩水
わたしの里 美術館       わが郷 HOME

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 野田佳彦氏の素顔 | トップ | 93式携帯地対空誘導弾 »
最新の画像もっと見る

歴史」カテゴリの最新記事