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日々の雑記

なぜ記録をするのが嫌なのか、タスクシュートに挫折するタイミングとは

2021-11-10 23:36:00 | 日記
タスクシュートはやったことの記録であってtodoリストとも違う、計画的なものでもない。
今日これやるぞとタスクを登録して始めるというよりかは今なにをしているのか?何をするのか?に主眼があります。

ところで、タスクシュートに挫折するとはどういうことなのか考えていました。
おそらくですが理想が高いということが一つ挙げられると思います。
自分の生活はこうであるべきだという理想が高すぎるのではないか?ということです。
そうなると、記録はしたくないものがほとんどになってしまいます。
例えばスマホをいじるにしても、テレビを見るにしても、理想的で完璧な生活の中にはこんなもの含まれてはならないわけですよ、だから心理的にこの時間を計りたくない。だからやりたくなくなる。
僕自身もそうでした。こんな生活記録するのは恥ずかしい。みたいな。
そこをやめて、現実を直視するようになるとこれ意外と快適なんですよね。
サボるにしても記録しているという安心感があります。今サボっている、そのサボることを自分で選んでいるという感覚が唯一無二の安心感を与えてくれます。

もう一つ挫折する時、記録が漏れる時というのはマルチタスクをしている時です。
僕はマルチタスクにそこまで否定的じゃありません。タスクシュート界隈ではマルチタスクはダメだという流派がほとんどだと思いますがww
人間がマルチタスクに向かないできないというのならいずれにしろなにをしている時もシングルタスクのはずです。例えばラジオ聴きながら勉強なんてできないという人はいるかもしれないですが、もし人間がマルチタスクに向かないのであれば、結局ラジオを聴いているか勉強しているかのどっちかになります。ラジオを聴きながら勉強が進んだのであれば、それは勉強に集中していてラジオは聞いていなかった(聞いていたけど意識には上がらなかった)ということです。もちろん時々ラジオに集中したのかもしれませんが。
なのでメインで考えればいいんだと思うんです。
そのタスクが失敗かどうかは主にマルチタスクによってメインのタスクがブレるかどうかによります。
さっきの例で言うのならラジオ聴きながら勉強してたら気がついたらラジオを聞いてるだけになって1ページも進まなかった、こう言う場合明らかにタスクが失敗しています。このままいくといつからいつまで勉強していたのかさえ曖昧になってしまいます。

シングルタスクであることの方が明らかに望ましいのは確かです。ですが、多くの場合シングルタスクばかりではないと思うのです。
作業はマルチで進めることだってできます。あくまでなにがメインかといのを意識する必要があると言うことです。

僕がこのことに気がついたのは、お風呂の時間でした。お風呂に入ってる時間を記録しているわけですが、実際にはお風呂でスマートフォンをいじってるわけです。お風呂の時間というよりはスマートフォンをいじってるのがお風呂の中というだけで、お風呂に入るというタスクを実行しているとはとても言えません。
このようなマルチタスクはダメな例で、メインのタスクが食われちゃってるわけです。

挫折しないためには、刻々と記録すること、マルチタスクになるときはメインのタスクがなんなのか意識すること(できる限りシングルタスクにする)が必要だと思いました。