雑記zaki

日々の雑記

タスクシュートを長続きさせるには記録を役立てようと思わず記録すること

2021-11-12 00:18:00 | 日記
連続でタスクシュートについて書いております。
佐々木正悟さんのnoteを見てて記録を妨げるものってたくさんあるんだなぁと思わされる。

心理的側面で言うと、記録を取りそれを役立てようというメンタリティがそもそも良くないのだな。
タスクシュートの元々の目的は、タスクの開始時間と終わりの時間を記録すること、それに尽きる。その記録をどうしようとか考える必要もない。

挫折する時、記録が漏れる時というのは気が付いたら別のことをしていたという場合が多い。
例えば夕飯を食べて気がついたらソファーに座ってテレビを見ていたなんてことは往々にして起こるわけです。夕飯の記録が止まっておらず今も記録し続けている。
夕飯の記録を止めてテレビを見るというタスクを開始すべきところを、そうできない。

これの対処法を考えていたのですが、むしろ夕飯の次はテレビみたいなことよりもタスクとタスクの切れ目の方が重要な気がしているんですよ。
僕らって絶えず何かをしてるはずなんですよね。何もしてない時というのが無いはずなんですよ。
絶対に人間は今何かをしてるはずなんです。
ただ座っていたって座るということをしていてまた何かしら考えたりしているわけです。
今日一日何もしなかったって言う人だって寝転がってスマホいじったりトイレに行ったり着替えたりは絶対にしてるはずなんです。
今まさにスマホをいじってるのをやめてトイレに行くというその瞬間はあるはず。
その切れ目を意識する、今まさに夕食からテレビを見るという行動に移る瞬間があるはず。

僕は以前タスクシュートは長期計画が苦手でボトムアップ型のタスク管理であり、トップダウンのものが必要。例えばニートがただ一日中スマホいじってたって記録をいくらとったところで何も変わらないと書いた記憶がある。
しかし、これは今では違うと感じている。
そういう人でも、タスクシュートで記録を取れば変革が訪れる可能性はある。
スマホをいじるというタスクをもっと細かくとってみるということである。
いくらスマホもいじっていたのは確かでも、ずっと同じサイトや動画を見てるわけではないはずです。
必ずYouTubeみたりSNS見たりアプリゲームをしたりAmazonで何か見たりしているわけです。
ただスマホをいじってた10時間という記録があるよりもYouTube2時間みたいな細かい記録を取ることで自分の1日を掴むことができる。
たしかに自分が見ると決めて見ているという意識が自分の人生の少ない一部分をコントローラブルなものにする。
YouTubeを見ると宣言して見て、ゲームをすると宣言してゲームをする。これは自分の行動が必然で、そのようになるしかなかった、ということを示している。
なんだか本当にはやることがあったのに、違うことをしていたという意識が、自分の選択に対する自信を失わせる。
サボるにしてもサボることを選んだという意識が大事なんだ。
スクリーンタイムではこれはダメだろうなと思います。受動的すぎるからです。

結局は、絶対に人間は何かしてるんだからそれを記録しさえすればいい。ニートだろうと社会人だろうと学生であろうと、記録する内容が違うだけでやることは同じです。