昭和30年前後の私が小学生の頃のことです。
「かみしばいだよー! かみしばいをはじめるよー!」
子どもたちが交代で、紙芝居屋さんから借りた拍子木をたたきながらみんなに知らせます。
紙芝居屋さんもよくしたもので、早く来た子には拍子木を貸してこんなことをよくさせたものです。子どもたちは喜んで大きな声を出して宣伝しました。
やる場所はいつもきまって公民館前の坂になっている所です。紙芝居屋さんは自転車で来て、下の方に自転車を止めて、子どもたちが坂の上に来るようにしていたのでよく見えました。さすがプロ、よく考えていました。時間も決まっていて、夕方だったように思いますし、次回来る日は何月何日と帰りには教えていくのでした。
紙芝居屋さんは子どもたちがほぼ集まると、代金と引き換えに水あめを配り準備です。色をつけた水あめをもらったら、垂れ落ちないようにぐるぐる回します。そのうちに色がすっかり混じるようになった頃、いよいよ紙芝居開始です。
演目は少ししか覚えていませんが、「少年王者」や「黄金バット」などは覚えています。少年王者はのちに、山川惣治が作者で、漫画にもなり、ジャングルの存在などを知りました。また、黄金バットは戦前からのものだということを後で知りました。
おじさんは声色を使ったり、かなりのアクションで怖がらせられたりしたものです。
演目では血がいっぱい描いてあるようなものや、怖い幽霊などが出るものがあった気がします。周辺の事情は覚えていても肝心の内容は詳しくは覚えていないという記憶ですから我ながらおかしいです。
それでも、この紙芝居のある日は楽しみで印象は強烈だったのでしょう。その後もいろいろと紙芝居に関心を持つことになりました。
数年前に横浜市立博物館で、今も現役の紙芝居屋さんの演技を見聞きしたり、さまざまな紙芝居の実物展示を見てきました。写真1
また、在職の頃は、教室で鉢巻をして、拍子木をたたき、学校にある紙芝居の舞台を使って演じることもしばしばでした。もちろん、水あめも用意しました。教室内だけの秘密でしたがね。子どもたちは水あめのぐるぐるがうまくできなくて教室をずいぶん汚されました。
3年ほど前には、甲府での紙芝居講習会なるものに参加して、普通の大きさの紙芝居やら、大型紙芝居などの演技を見て学びました。
そうすると紙芝居の舞台がほしくなり、とうとう作りました。
写真2
紙芝居は古本屋さんから何セットか購入しました。そして「風の丘」と称する地域の遊びや学習の場で演じています。
あの昭和30年前後の子どもの頃の思い出がこんな形で生きているのは何ともおかしいものです。
「かみしばいだよー! かみしばいをはじめるよー!」
子どもたちが交代で、紙芝居屋さんから借りた拍子木をたたきながらみんなに知らせます。
紙芝居屋さんもよくしたもので、早く来た子には拍子木を貸してこんなことをよくさせたものです。子どもたちは喜んで大きな声を出して宣伝しました。
やる場所はいつもきまって公民館前の坂になっている所です。紙芝居屋さんは自転車で来て、下の方に自転車を止めて、子どもたちが坂の上に来るようにしていたのでよく見えました。さすがプロ、よく考えていました。時間も決まっていて、夕方だったように思いますし、次回来る日は何月何日と帰りには教えていくのでした。
紙芝居屋さんは子どもたちがほぼ集まると、代金と引き換えに水あめを配り準備です。色をつけた水あめをもらったら、垂れ落ちないようにぐるぐる回します。そのうちに色がすっかり混じるようになった頃、いよいよ紙芝居開始です。
演目は少ししか覚えていませんが、「少年王者」や「黄金バット」などは覚えています。少年王者はのちに、山川惣治が作者で、漫画にもなり、ジャングルの存在などを知りました。また、黄金バットは戦前からのものだということを後で知りました。
おじさんは声色を使ったり、かなりのアクションで怖がらせられたりしたものです。
演目では血がいっぱい描いてあるようなものや、怖い幽霊などが出るものがあった気がします。周辺の事情は覚えていても肝心の内容は詳しくは覚えていないという記憶ですから我ながらおかしいです。
それでも、この紙芝居のある日は楽しみで印象は強烈だったのでしょう。その後もいろいろと紙芝居に関心を持つことになりました。
数年前に横浜市立博物館で、今も現役の紙芝居屋さんの演技を見聞きしたり、さまざまな紙芝居の実物展示を見てきました。写真1
また、在職の頃は、教室で鉢巻をして、拍子木をたたき、学校にある紙芝居の舞台を使って演じることもしばしばでした。もちろん、水あめも用意しました。教室内だけの秘密でしたがね。子どもたちは水あめのぐるぐるがうまくできなくて教室をずいぶん汚されました。
3年ほど前には、甲府での紙芝居講習会なるものに参加して、普通の大きさの紙芝居やら、大型紙芝居などの演技を見て学びました。
そうすると紙芝居の舞台がほしくなり、とうとう作りました。
写真2
紙芝居は古本屋さんから何セットか購入しました。そして「風の丘」と称する地域の遊びや学習の場で演じています。
あの昭和30年前後の子どもの頃の思い出がこんな形で生きているのは何ともおかしいものです。
子供頃の、同じ光景がよみがえって
きました。 テレビもスマホもない
時代の何とも大勢の子供たちが共感
した、この大いなるものに万歳!
また、ほかの方も、それぞれの紙芝居がおありかとおもいます。教えていただけると嬉しいです。
一番の楽しみは紙芝居を見るために買う駄菓子です。
中でも私のお決まりは、おじさんがミルクせんべいを五枚ほど重ねて二つに割って梅ジャムを塗ってくれたスイカと言う名前の駄菓子でした。
この駄菓子の定番の元祖梅ジャムは戦後約70年に渡り梅の花本舗の創業者である高林博文さんひとりの手で作られ、後継者もなく平成の終わりと共に高齢を理由に生産を終了されたそうです。
昭和の懐かしい物が一つまた一つ無くなっていくのは寂しいですね。
私もコロナが一段落したら、紙芝居で近くを回ってみようかなと思っています。とてもよくなる拍子木も入手しましたから。駄菓子はどうしよう?