ネイチャーゲーム&自然・趣味

ネイチャーゲームで知った自然。テニスやハーモニカ、ウォーキングなど遊びの世界。

憲法9条は幣原首相が提案したとの資料が見つかる!=押し付け憲法論の破たん

2016年08月27日 | 政治・社会
 東京新聞、朝日新聞などが伝えているように、憲法9条の提案は幣原首相本人であることを示す新資料が見つかりました。
 今までも、マッカーサー自身の議会などでの証言はあり、そのことは言われていましたが、堀尾輝久東大教授が国会図書館でマッカーサー書簡の文書を見つけたもので、押し付け憲法論を否定する内容です。ネットでも文書そのものが紹介されたりしています。
 ここでは、それを簡略にしたものを掲載します。
 安倍首相はじめ自民党は、何の証拠もなく、アメリカから押し付けられたものだから「日本人自身によって変える必要がある」と押し付けを理由に改憲を進めてきました。国民を欺くことは許されませんね。




   幣原喜重郎元首相が語った日本国憲法 - 戦争放棄条項等の生まれた事情について 

 ▶ 憲法改正草案要綱の発表の経過についての説明
 1946年・昭和21年( 今から70年前)に公布され、1947年・昭和22年( 今から69年前)の5月3日から施行された「日本国憲法(にほんこくけんぽう)」の誕生に関わり、とりわけ「戦争の放棄」を謳った第九条の成立に大きな役割を果たしたとされる 幣原喜重郎 (しではらきじゅうろう)[1]元首相が、亡くなる直前に戦争放棄条項などが生まれた事情などについて語っている。
 

 聞き手は衆議院議員であり、幣原の秘書官であった平野三郎[2]で、聞き取りは、幣原が亡くなる10日ほど前の、1951年・昭和26年( 今から65年前)[3]の2月下旬に行われたとされる。
 
 幣原は、『口外無用』として平野に語ったとされるが、平野は、「昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにした」とし、『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』と題されたその文書は、1964年・昭和39年( 今から52年前)の2月に憲法調査会[4]事務局によって印刷に付され調査会の参考資料として正式に採択された。
 これが、いわゆる「平野文書」で、現在は国立国会図書館憲政資料室に保管されている。
 
 平野は、この文書を書いた経緯を、自身の著書『平和憲法の水源 - 昭和天皇の決断』(1993年・平成5年刊)で次のように記している。
 
 憲法調査会の審議が大詰めを迎えたある日、(中略)高柳会長[5]から面会の申し込みがあった。(中略)
  高柳会長は重大な決意を込めて言った。
「私はたまたま憲法の番人の役目を仰せつかった。私は番人に徹する積もりです。私は少なくとも第九条は未来永劫ふれるべきではないと思っている。自衛権は本来的にあるという意見があるが、未だかつて自ら侵略と称した戦争はなく、すべて自衛戦争ですから、一つ歯止めを外したら結局は元の木阿弥に戻ってしまう」
 
 高柳会長の話は、さらに天皇とマッカーサーに及んだ。
「(中略)天皇は何度も元帥を訪問されている。(中略)天皇は提言された。むしろ懇請だったかもしれない。決して日本のためだけでない。世界のため、人類のために、戦争放棄という世界史の扉を開く大宣言を日本にやらせて欲しい。(中略)天皇のこの熱意が元帥を動かした。もちろん幣原首相を通じて口火を切ったのですが、源泉は天皇から出ています。(中略)天皇陛下という人は、何も知らないような顔をされているが、実に偉い人ですよ」
 
 最後に高柳会長は、「ところで、あんた、幣原さんから聞いた話を一つ書いてくれませんか」と言われた。
 これは困った。たしかに話は聞いてはいるが、ただ聞いたというだけで具体的な資料はなにもない。私はお断りした。
 それに対し、博士は、
「いや、あなたが幣原さんの秘書だったことは確かな事実だ。秘書なら話を聞く機会があって当然である。だからあなたの話なら、根拠がない訳ではない。実は調査会もそろそろ結論を出さねばならない。問題は、米国製か、日本製かということだが、幸い日本製だというマッカーサーの証言がある。しかし、アメリカの話である。どうしても日本側の証拠が必要だが、それがないので困っている。ついてはぜひ、あんたお願いします」
 というのであった。
 
 そこで、『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』という報告書を私は提出した。

 【平野三郎の憲法調査会への『報告書』による、幣原喜重郎元首相の主な言】
(括弧内は平野の質問の要旨)
(第九条は現在占領下の暫定的な規定ですか、何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか)
 
一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。


(軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか)
 
それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。
 次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。
 相手はピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋[6]ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。
 僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。


(他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したら)
 
その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然も次の戦争は今までとは訳が違う。僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。


(憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています)
 
そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、〈中略〉憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。〈中略〉幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。
 世界の共通の敵は戦争それ自体である。
• ここまで敬称を省略しています。
    
        引用=「みんなの知識 ちょっと便利帳」国立国会図書館コピー。
        URL( http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html )

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NNNドキュメント 「18歳... | トップ | 自民党ホームページに「密告... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿