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『あまちゃん』23週、まとめその1.あまちゃんの描いた東日本大震災

2015-09-11 20:17:56 | 朝ドラ
BSで再放送中『あまちゃん』第23週 「おら、みんなに会いでぇ!」のまとめの第1部。
133回と134回です。
(後半135回~138回はこちら→『あまちゃん』23週、まとめその2.さよなら、またね、ただいま、おかえり。



最も早く、長く、具体的に描写した作品として、2013年の本放送当時話題なりました。

それから2年後の2015年。
東日本大震災から4年半。
BSでの再放送もまた『その日』を迎えます。


その本放送2013年当時のエントリが残ってまして、これ。
あまちゃんの勇気


新学期のはじまる9月の第1週「子どもが観るかどうかは親御さんの判断に任せます」ってのが出来るタイミングで震災編に入る、
それも現実の描写はいれない。
テーマは震災でもなく復興でもなく「日本の朝を明るく」。
震災を描くって、まだ福島原発事故も収束していない状況で下手したらバッシング。
でもそれを見事にやりとげているあまちゃんの勇気にまた涙が出そうです。






関連リンク

『あまちゃん』22週、まとめその2。132回を通して描かれた幸せの形。

『あまちゃん』22週、まとめその1。前髪クネ男の功績を真剣に考えた。

『あまちゃん』21週、ここまでずっと丁寧に描かれたからこそ、それぞれの『大逆転』に涙する。


以前のもの、本放送当時の記事はこちら。
朝ドラ感想記事のまとめ。





■2011年3月11日


どうか何でもない1日でありますように。
本放送のときと、再放送の時、同じことを思っている。

 

「3.11」この日付でまだズキッとするし、この音(緊急地震速報)で身体中の筋肉が強張るのがわかりました。
ドラマと現実世界が一瞬で繋がった気がしています。

息の詰まる15分だった。
これほどに息の詰まる15分の朝ドラは、後にも先にもこの『あまちゃん』133回くらいでしょう。


この先のことは知ってる。わかっている。
わかってたけど、辛いな。
わかってたけど、涙がとまらない。
わかってたけど……

きっとフィクションの中で現実の自然災害を扱うってことは、こう人の心にグイグイ入り込んでくるってことだろうな。

それだけのリスクがあることなんだって思います。


経験した事がないような地震の揺れ。
断片的な津波情報。
大変な事が起きているというのは分かる。
でも肝心な所とつながらない、様子が分からない。

3月11日はそんな日でした。
それがリアルに描かれていて、当時の事を思い出します。







■あのとき、みんな怖かった


 

 

あの日、みんなの無事を確認したり点呼とったりしていた『大人たち』。

でも大人も怖かったんだ。
何が起きてるかわからなくて、でも目の前の人たちを守らなくちゃいけなくて、動いてれば恐怖は感じないって。


冷静にユイちゃんの居場所を推測するミズタクも、明日以降の予定を告げる太巻も。
みんな本当は怖かった。
辛い報道、まだ余震は続いていました。

でも動いていれば、恐怖は緩和された。
大人には動く理由があったし、守るべきものがありました。

これまでに太巻やミズタクの大人の側面が描かれていたから、自然につながる場面です。
咄嗟にアキを庇い、皆を励まし笑わせる安部ちゃん。
冷静に指示を出す太巻。
小野寺ちゃんの親を探す河島さん。
ユイに見るなと言う大吉。

とにかく大人達が子供を庇う姿がリアル。





■トンネルの中で



大吉がこのとき「ブレーキ!」と言っていなかったらと思うと、ゾッとします。
きっとオープニングの海でも涙が止まらなくなっていたでしょう。

 

副駅長・吉田との通信。
いつもはふざけてる吉田だからこそ、切羽詰まった声が現実味を帯びました。
荒川さんはどんな気持ちでこのセリフを言ったんだろう。

わずか二回。
短い無線通信。
無駄なものを一切排除した演出は、徹底的なリアリティを伝えました。

北三陸の被災状況、混乱、大津波が迫る緊迫。
トンネル内の暗闇。
全てを生々しく伝えた吉田の無線。




あの日、予定のお座敷列車に乗り損ねた鈴木のばっぱ。
鈴木のばっぱがいたから、地元のみんなが乗ったお座敷列車が誕生した。
アキもユイも観光協会も海女クラブもみんな幸せそうに笑っていたお座敷列車。
今でも目に焼き付いている。
だからこそ涙が止まらない。

 
大吉さん、かっけーよ。
ジオラマといい、もともとギャグシーンの歌でしかなかったものを効かせてくるこのうまさ。

そして大吉さんを照らす車両のヘッドライト。
一瞬、本当に一瞬しか映らないんだけど、名もなき乗務員。
実際にいたんだろうね。
そういう人たちが、照らした道。




■トンネルの先に


 

 

暗いトンネルから一転、トンネルを抜けた先。
その光景の悲しさを、大吉とユイちゃんの表情で表す。
製作陣の配慮も感じるし役者さんの力も感じる。
何より、自然の力のすさまじさを感じる。



トンネル内の暗闇、白日にさらされる大惨事。
土曜日、春子さんが言っていた言葉。
『オセロの駒がひっくり返った』
をふと思い出す。


「ユイちゃん、見てはだめだ」
「ごめん、もう遅い」


 

あまちゃんの数あるシーンのなかで、このシーンが一番辛い。
このトンネルを出たシーンだけが、唯一の直接的な被災映像でした。

「トンネルの向こうの崩壊」は、ユイちゃんの心をも壊した。
自分を支えていた希望どころか、自分たちを支えていた世界自体が壊れてしまった。
悪夢よりもひどい現実が広がっていた。
その真っ白な絶望を、瞳だけで表した橋本愛ちゃんも杉本さん。
演技を超えた何かがある。

演じるお二人、撮影班、制作陣の辛さを思うとまた涙が出そうです。

でもね、ユイちゃんが無事で本当によかったって、本放送の時も再放送も安心したんだよ。





■東京


 

 

「映画みてえだな」
その日から繰り返し流された恐ろしい映像にそんなことを私も思いました。
思考が停止しました。

縦横テロップ、沿岸が赤く染まった小さな日本列島、ACのCM、あの日のことを乗り越える日は来るんだろうか。

「オセロの駒が全部ひっくり返った」
まさにそのとおり。

実際の2011年3月11日は私は埼玉にいたので、立場的にはアキと同じになります。
ニュース映像をみて絶句していました。
このテレビの後ろからニュース画像を見せてみんなを顔面蒼白にする演出。
震災を描く史上最も気を遣いつつ、ちゃんと恐怖を伝えた画像として凄いと当時評判になりました。



 

しおりの言葉、震災のその日の気持ちがよくあらわれてると思います。

文句でも何でもいい、出来れば笑いたい。
この現実から少しだけ離れたい。


そんなGMTの気持ちを察した安部ちゃん、かっけーよ。
視聴者の気持ちを察した脚本、かっけーよ。

 

小野寺ちゃんを演じる優希美青さんは実際に被災して、避難生活を送っていたことを放送後に知りました。
東北の被災者を元気付けたいと芸能界入りしたことも。

このとき優希さんはどんな気持ちで「宮城出身・小野寺薫子」を演じていたんだろう。





■制作陣の想い


132回まではドラマの話。
133回は視聴者ひとりひとりの体験が重なります。
だから極限まで削いだ表現でも十分に伝わってきます。

壊れたジオラマが何を意味しているか。
ユイちゃんと大吉さんは何を見たのか。
事務所のテレビでアキやミズタクは何を見たのか。
それは映されなくても知っています。








ジオラマで描いた津波の爪痕。
粉々に割れたガラスがそれを表現する。
あのときテレビ越しに津波をみて、現実に起こっていることとは理解しがたいものでした。


製作スタッフの配慮と努力に涙が出ます。
もし実際の映像、たとえ再現でも波が押し寄せる映像だったら見ることはできなかったでしょう。

何を表現してもいいんじゃない。
ここで本当に久慈の被災当時の映像を出したら非難轟々だったかもしれない。
視聴者心情に配慮し、それでも描きたいことを描いた結果は、これがベストなんだと思います。


あまちゃんの企画が始まったのは2011年の夏ごろ。
震災描写にジオラマを使う、というのは企画当初から決まっていたことらしいですが、それでも製作スタッフはずっと迷っていたといいます。
キャストの方々も迷ったんでしょう。

それでも、最大限のデリカシーを払い、最小限かつ過不足のない描写に抑えることに、真剣に取り組んだ。

辛かったことと思います。
脚本の宮藤官九郎をはじめ、小野寺ちゃん、花巻さん、菅原さん、それぞれの中の人は東北の出身。
もちろん他のスタッフもいると思います。
なにより、エキストラは現地・久慈の方々。

真剣なまなざしの中に、少し光るものが見えてくる気がします。

「2013年のあまちゃん、よかったよね。面白かったよね」
と話題にするたびにこの15分を思い出すのでしょう。
そのたびに2011年の東日本大震災を思い出し、それは風化させてはいけないと思うのでしょう。




■離れていく二人


 

 

アキもユイちゃんも歩いてます。
アキが歩いてるのは、人でごった返す東京のアスファルトの上ですが。
ユイちゃんが歩くのは、人も少ない真っ暗な瓦礫の上。

アキのいる場所には種市やミズタクがいます。
ユイちゃんの周りには誰もいません。

灯りのない真っ暗な道を歩くのはとても怖いものです。
ましてや、あの揺れを体験してあの外の悲惨な光景を見たあとです。

灯りのない真っ暗な線路の上をひたすら歩いていくユイちゃんの感じている恐怖を思うと背筋が震えます。

それでもユイちゃんは、ひとりでも、真っ暗でも、歩いていく。
明日のことや明後日のことはわからなくても、生き残ることに必死だったあの日の夜。


あの日はそんな夜でした。



無事に帰宅出来たアキの疲れ切った横顔と、安堵した春子さんの顔。
帰り道いろんなこと考えたんだよね、




■三陸鉄道、北三陸鉄道




 

三陸鉄道が発災5日後の2011年3月16日に、北リアス線久慈~陸中野田間部分運行を開始したことは実話です。
当時の三陸鉄道、北リアス線運行開始時の新聞記事がこちら。



大吉も吉田も、名もなき乗務員も、みんな本当にいる。

 

「走らなくてはなんねえのだ」
「走るべ」

このときの大吉さんはまるで被災地現地の復興の象徴のようでした。
あの辛い光景を生で見て言葉を失ったであろう大吉さんか、きっとトンネルの中のゴーストはバスターしたんだなって。



「第三セクターの意地、見せっぺ」

春子さんも、アキも、種市も、本当の最終回ではユイちゃんも、みんな北鉄にのって宮古へ向かいました。
夢を叶えに東京へ向かいました。
そんな若者の夢を支えるのが、地方路線、あるいは第三セクター。
それが田舎もんの意地です。

 

地元の力で動き始めた北三陸。
三鉄もそうですが、北鉄は人の力によってトンネルを抜けました。
地元が動いてはじまった復興への第一歩。

「出発進行!」

 

忘れてはならないのは、現実ではこの早期復旧の裏には、北リアス線より被害の大きかった南リアス線運行部の応援があったことです。
北リアス線より被害の大きかった南リアス線と共に全線復旧したのは、2014年。震災から3年の春だった。



北鉄を見送る地元の方々。景色が美しい、人が美しく描かれます。
本放送のあと、三陸鉄道に限らず、被災前の駅や路線がどれだけ海に近いところを走っていたのかを知りました。
オーシャンビュー、歩いて海に行ける駅。
その残酷さを知ることとなりました。

救援物資や支援物資、人を運ぶのなら電車じゃなくてもいいんです。
ヘリでもいいし自衛隊でもいい。

ただ、日常の風景に溶け込んでいるのは、北三陸の場合、それは北鉄でした。
一刻も早く日常を取り戻す。
心を落ち着ける。


災害時にどういった心構えが必要なのかを学べる気がします。





■エキストラ


 

散らばった瓦礫の向こうに輝く海。
エキストラの久慈の方々は、どんな思いで撮影に臨んでいたのか、想像もつきません。
製作陣はどんな思いで撮影していたのか、想像もつきません。


ただ唯一言えるのは、アキのミサンガ、ユイちゃんのトンネル、大吉のモータリゼーション僻み、夏ばっぱの携帯電話……
あらゆることがこの23週のエピソードに繋がっているんだととしたら。

最優秀主演女優/男優賞は、これら台詞無きエキストラの方々に贈呈したいということです。






■紙芝居


 
 

東北新幹線はゴールデンウィークを前に復旧しました。
次いで仙台空港も。
確か一番早かったのは高速バスでしたが、交通網が復旧するということの重要性を感じました。

ほんとに、耳慣れない言葉が飛び交ってました。

再放送を見ていて正直に思ったのは
「ああ、あったなあ。懐かしい」
ということでした。
時間の流れを感じます。

この時期の社会混乱を媚びるでなく遠慮するでなく。
紙芝居で過不足なく伝える。
その勇気に改めて感服です。







■東北の人間が働けって言ってるんです


仕事を躊躇する鈴鹿さんに春子さんが叱る。



「東北の人間が働けって言ってるんです!」

東北は動き出している、立ち止まるな、動け。
そんな制作陣からのメッセージが、今でも心に響きます。


この台詞を描いたのは東北出身の脚本家・宮藤官九郎。
温厚な人物として知られるその人が「世間」に真顔で怒っている。

春子さんの「東北の人間が働けって言ってるんです!」
夏ばっぱの「お構いねぐ」

この台詞を言いたいのは宮藤さん本人なんじゃないかって思います。
「東北の人間が笑って泣かせて絶対に笑わせる、笑わせるから東京の人間も働け」
宮藤さんが伝えたいことってもしかしてそういうことなんじゃないのかなって。




■娯楽とは


娯楽に対する世の中の風潮について、結構ぐいぐい描いていて、本放送時に驚いたものです。
『売名行為』、これも聞きなれない言葉でしたが、この太巻のくだりで笑いをとりにいって、これもまた勇気のいるところだったと思います。

この134回の15分間がすごいのは、二つの描写が同時に進行するところ。
北鉄を再開させようとする大吉達、列車に乗る人々や夏。
鈴鹿さんの不謹慎発言やコンビニでのアキ。
同じ事象を扱っているのに北三陸と東京で別の話が対極的に進行しています。

 

 

アキの言うとおり、命を救うのは水や食料です。
でもね、アキ。ユイちゃんの心をアキと種市の変顔が救ったように、心を救うのは娯楽でした。
震災の辛さを少しでも柔げてくれたのは、立ち上がる人の強さを描いてくれたこのドラマでした。


東日本大震災で、日本人が思い出したのは「水や食料がないと生きていけない」という、生物としてごく当たり前の感覚でした。
その感覚を思い出したうえで、「やっぱり娯楽もないと心が辛い」、そう考えたのもまた事実です。

どちらも欠かすことはできないんですよね。






■被災地


アキが3月11日以前の思い出が塗り替えられる事がたまらない、という言葉に共感を覚えます。
3月10日までどうやって過ごしていたのかわからない。

133回から続いて描かれる震災をめぐる人々の思い。
生々しく迫ってきます。

 

「何もできねえのに帰ったって迷惑だ。被災地だもん」

震災から1ヶ月前後の頃の春です。
アキと同じ気持ちを抱いていた人は多かったと思います。
それは事実としてあるかもしれない。
何を求められているか、そのときにそれができるか。
災害の急性期・亜急性期に求められるのは、医療関係、インフラ関係など専門職の力です。
でもそれは、人の力です。
北鉄を動かした人の力。

アキや鈴鹿さんの弱気、東京の弱気が描かれるからこそ、動き出した北三陸の人の力が力強いものに思えます。


現実の震災から4年半が経った今、必要とされるのはやはり人の力だと言っていました。
今年の夏、私は4年ぶりに宮城沿岸部一帯を訪ねたのですが、そこで再会した現地の方々が仰っていました。
「たくさん見てって。たくさん食べてって。たくさん、たくさん」
「忘れないでいてくれてよかった」
「悲しい思い出は踏み荒らさないでほしい」
それらの言葉の意味を今改めて考えます。


→2015年8月、4年5か月前のあの故郷へ、その1(福島)その2(石巻へ)その3(北上川)




■みんなの笑顔を数える


 

私個人的に、アキが北三陸の笑顔を思い出すシーンで、やっとこれまでのあまちゃんに戻ってきた感があります。

脳裏によぎるのはあの幸せにあふれたお座敷列車です。
最初のお座敷列車が「誕生」だったならば、最終週はきっと「再生」なのかもしれません。

『あまちゃん』9~11週、温かくて幸せな時間。

今日の、北鉄は、なんて幸せなんだろう。
なんで、この先、あんなに困難が待ち受けるんだろう。
最終話のことを思い出すとなんかもう涙しか出てこない。





後半、ミズタクが岩手と闘って、鈴鹿さんは月面着陸をして、アキは地元に帰ります。
『あまちゃん』23週、まとめその2.さよなら、またね、ただいま、おかえり。




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