おばんでがんす
いつものように、いつもの年のように、いつもの春のように、いつもの庭に、いつもの花が咲く
この何も変わらない時がよく考えると幸せなのだろう
今年もお岩八つ手が元気よく出てきた、岩八つ手は高鼻の、天狗、みたいな花だ、なんとなれば、花(鼻)が先に出て葉(歯)が後から出る
一寸こじつけっぽいな
年々増、、種は出来ないのか?実生は無い宿根で増えるらしい
門柊と柘植の間に生えている。真っ白な葉が出て咲きわずかに遅れて赤い葉が出てくる、直射日光に当たって陽に焼けたようになるのかもしれない
咲き始めの若さや瑞瑞しさが、限りなく眩しい
花が終わるとたちまち葉が出てきて茎もぐんぐんと育つ、人生ならぬ叢生の一年一年を大事に無駄なく過ごしているのだ
先日も出したが、貝母が不思議なしかも地味だか派手だかわからない花を咲かせている
肥料が足りないのか中中大きな花に成らない、今年はもう 少し肥培肥培管理を丁寧にしてみよう
これくらいの姿形が良いのだが、密生を避けて育てる手立てを考えよう
黒の網タイツでシースルーの妖艶な下着をつけている、少しエッチで下からのぞいてみた
小さな幾年たっても花が咲かなった株が日当たりが良くなったら途端に大きく咲き出した、よい環境こそが花を本当に愛する者の責務なのでは、
と思うこの頃だ
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
でも毎年同じ場所に咲いているのを見ると、健気で愛らしい花と思うようになりました。
葉っぱとは別の部分、先っぽがくるりんと巻いているのも可愛いです。
別名の「アミガサユリ」も、下から覗いて「なるほど!」ですね。
今年も、近くの空き地に数本咲いています。
この空き地の元住人の方は色々な花を植えておられたのでしょうね。
主も家もなくなっても、季節が廻ると以前の花が咲くというのは
淋しいような嬉しいような不思議な感覚です。
岩やつでは、山の水が滴る岩場の苔の上に咲いているイメージがありました。
山野草展などを覗くと、豆盆栽みたいに仕立てられたのを見かけますね。
小さく愛らしい花の意外なたくましさにびっくりです^^