おばんでがんす
百樹園では山百合は見る花でもあるが、食べる食材でもある、毎年子生えを三十か四十は移植して養成している
初年一葉、二年目五、六葉、三年目十五葉位、四年めで一輪花がつく、そうして一年に一花ずつつ咲く
こうして五~六個咲くと球根が大きくなる、そうしたらこれを掘り取って,百合根金団を作って食べる
実に気の長い話である、が、然し毎年これを繰り返していれば。毎年百合金団が食べられるという訳
面々と続いている我家のお正月の御馳走だ、本物の味は簡単にはできない、弛まぬ努力があって初めてできる物だ
今年の金団候補だが今年は二球しかない貴重品だ
構わず一球で五個花がつくと食用に使う事としている、食用に成る百合は種類が少ない、貴重だ
重い大きな花を柔らかな腰で揺ら揺らと揺すり、其れらしく装い、虫たちに受粉をさせる妖艶な手練手管だ
兎に角何処と謂う事はなく山中に植えて楽しんでいる、、あの妖艶な美しさは誰でもひかれて惑わされる
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」である
日当たりが今一なので夫々に添え木をしてやっている、畑中の日当たりのよい処ならしっかりした茎に
成るのだが、残念ながら妖艶さが出ない。
少し陽射が少ないと開花が遅くなる、微妙なものだ、だから花見の輩が幾日かのうちに見えるようになるのだ
自然は花を愛する人間を裏切らない、きっと幾日か早くも遅くも花を見せてくれる
樫ぐね、の、木作の下でひっそりと咲く花は妖艶さよりその儚さが目立つ
佛石造にしなだれかかっている花もある、如何にもはかなげであり色香を巻き散らかしている風情だ
神様に一年中花を進ぜられないので、何種類か周りに植えてある
春は猩間袴、夏は百合、と九階草、秋は黄花突き抜き杜鵑、が見られるようにしてある,手抜きだ
後一二年頑張ってもらわないと食用に成らない、百合は、見て佳、進ぜて佳。食べて佳、の多目的な花なのだ
もう暫く、もう何年かはこの花も見たい花だ、欲をかいている
そんじゃあ又話すべえ
遊童子
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