遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

 百樹園の山百合

2024年07月10日 | 年中行事

おばんでがんす

百樹園では山百合は見る花でもあるが、食べる食材でもある、毎年子生えを三十か四十は移植して養成している

初年一葉、二年目五、六葉、三年目十五葉位、四年めで一輪花がつく、そうして一年に一花ずつつ咲く

こうして五~六個咲くと球根が大きくなる、そうしたらこれを掘り取って,百合根金団を作って食べる

実に気の長い話である、が、然し毎年これを繰り返していれば。毎年百合金団が食べられるという訳

面々と続いている我家のお正月の御馳走だ、本物の味は簡単にはできない、弛まぬ努力があって初めてできる物だ

今年の金団候補だが今年は二球しかない貴重品だ

 

構わず一球で五個花がつくと食用に使う事としている、食用に成る百合は種類が少ない、貴重だ

重い大きな花を柔らかな腰で揺ら揺らと揺すり、其れらしく装い、虫たちに受粉をさせる妖艶な手練手管だ

兎に角何処と謂う事はなく山中に植えて楽しんでいる、、あの妖艶な美しさは誰でもひかれて惑わされる

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」である

日当たりが今一なので夫々に添え木をしてやっている、畑中の日当たりのよい処ならしっかりした茎に

成るのだが、残念ながら妖艶さが出ない。

 

少し陽射が少ないと開花が遅くなる、微妙なものだ、だから花見の輩が幾日かのうちに見えるようになるのだ

 

自然は花を愛する人間を裏切らない、きっと幾日か早くも遅くも花を見せてくれる

樫ぐね、の、木作の下でひっそりと咲く花は妖艶さよりその儚さが目立つ

 

佛石造にしなだれかかっている花もある、如何にもはかなげであり色香を巻き散らかしている風情だ

神様に一年中花を進ぜられないので、何種類か周りに植えてある

春は猩間袴、夏は百合、と九階草、秋は黄花突き抜き杜鵑、が見られるようにしてある,手抜きだ

後一二年頑張ってもらわないと食用に成らない、百合は、見て佳、進ぜて佳。食べて佳、の多目的な花なのだ

もう暫く、もう何年かはこの花も見たい花だ、欲をかいている

そんじゃあ又話すべえ

遊童子

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