おばんでがんす
私の町には鬼子母神をおまつりしているお寺がる、神仏混淆の時代の名残りだろう、11月12日と決まっている、昔からこの地域の広い範囲の信仰を集めていた大祭だ
この辺では、きちぼうじん、と呼ばれて慣れ親しんでいる。子育てと名が着いているので子供の祭礼でもある、今もその名残で子供たちが多い、
この日までに二毛作の麦の蒔きつけを終えるのが農家の目安であったし、子供たちも一生懸命に手伝いをすると、きちぼうじん、の小づかいが多めに貰えると真剣にお手伝いをしたものだ、娯楽の少ない時代は楽しみな行事であった
だからその混雑の状態を、きちぼうじんのよるみて―だ、と喩え話にした、大都会の混雑事や大葬儀等、ひとが大勢出て混雑する事の喩え話だ、
そしてこの時期の寒さを、「きちぼうじん陽気」とも言う、また或は賽銭が沢山上がるので、この事から日銭が沢山入る事を「きちぼうじんの賽銭箱みたいだ」等とも言ったそれ程地域に密着して居る祭礼なのだが、、、、、、、最近は大分さびれてきた、さびしい事だ。それでも今も大勢の老若男女が参拝している
昔よりも30軒も40軒も少ないが屋台が出店する、交通指導や交通整理に当たるボラさんたちは寒そうだ
何か買おうかなと思いながらとうとう買わずに通り抜けてしまった、寺で少しの御供物を上あげたら沢山の御土産を戴いた、今日は此れで家人をなっとくさせようかと、、、、、、、、
昔懐かしい話である
そんじゃあまたはなすべえ 遊童子
露店は都会でも地域の祭りや例祭などでも見られますが、なかなかに昔ながらの祭礼ではその数も少なくなっているのは文化・風習の時代の流れでしょうか 昨今は群がるところが多くなって、文化伝承のものはお祭り気分のものを除けば人が集まるものは少なくなっていくようです
そのような中でも綿々と続いている鬼子母神大祭は未来の地域や日本を担う子供の将来を祈って続いていることは嬉しいですね
小さい頃、少し歩いていかなければならないところでしたが、薬師様があって決まった日に祭礼が行われて露店が出ていたのを思い出しました 子供心にも賑わいはやはり浮かれた気分になります 露店の思い出とともに本意の鬼子母神への願いが子供にもその意味が伝わっていくよう文化の継承が切れないこと祈ります
<橙>
こめんとありがとうございます
私も何時もそう思って何か其の伝承にやくだつ事は無いかと模索しています、せめて例祭に協力する事くらいで良い思案もなく時ばかりが過ぎています
露天商の世界も高齢化に成り後継者も少なく、利益が有る無しに拘わらず減少しています
その土地に根ずいている文化を伝える事はむづかしいです、時代の流れに棹指す事は至難の事です
何かヒントがないかと思っていますが
ではまた