遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

 大祥忌

2024年07月09日 | 年中行事

先日私の母の実家の嫁さん、つまり義従姉の大祥忌があって行ってきた。

地元の曹洞宗の寺、○純寺で供養をした。いろいろと当社でも御贔屓をして頂いている。顧客である

駐車場に着いたら最初に目についたのが、芭蕉だ。言わずと知れたバナナの一種だが

この実は熟しても食べられない、状態はまるっきりバナナだが、昔県の派遣で台湾に半月ほどいたことがある

見るもの聞くもの全て真新しい事ばかりであったが河原にこの芭蕉が生えていた、南国で暖国の台湾で有れば当然の

事であったが途中現地のバスにとりこんで幾日おいても甘くならず最後に捨ててしまったという苦い経験があります

名実ともに苦い経験で実も苦かった思い出がありますし種も入っていました。遠い遠い思い出です

 でも花はきれいですね

 異国情緒たっぷりの花です

本堂で。副住職の祠堂で供養をしていただいた

曹洞宗独特の須弥壇は豪華絢爛といった形だが、檀家数の多い寺は矢張り調度も豊かだ

 須弥壇前の住職の祈壇の天蓋が金ぴかで有り、圧倒される。法話を頂いてから散会

その後はお施食の供養があり、旧群馬町の割烹にて御施食を頂いてきた

次々と出てくる御施食はとても胃のない老人には食べきれないものであった。若い者に回して食べて戴いた

大変の散財で有ったろうが、これも供養の為であり、この為の蓄財で有り現世にいる者の役目である

こうしたことが面倒になり、家族葬が流行り、供養もしなくなってきている現状もわからなくはないが

世知辛い世の中に成り、心に余裕の欠片も見えない人生が果たして豊かな人生と言えるのだろうか???疑問だ

私たちは、仏教も神道も信仰している神仏混淆の者たちで有り、その辺のところが不明だ

キリスト教も、イスラム教も理屈はわかり肯定しているが、、、、、、、

キリスト教も克って日本に渡来した最初のころは、かなり如何わしいもので有ったと聞く

多くの日本人が奴隷として海外に行ったという事も有り、その先棒を担いでいたという事実もある

現代でも統一教会の事も有る

信仰とは、別の一面はすごい事も有るのだ、ということを肝に銘じなくてはならない

極めて安定している信仰状態はまずまず良しとしなくてはなるまい

 

そんじゃあ又話すべえ

遊童子

 

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