遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

 鹿の子百合

2024年08月04日 | 

おはようがんす

愈愈八月に入っ手しまった、日々は毎日必ず変遷して留まらない、伯明の理だ

然し人間は違う、時代を切り開いてどんどん進んで行く人もいる、そうした人達ははほんの一握りの

天才の人だ、概ねの人は日や時に引っ張られて、しばられて、半分は訳も分からず流されてゆく、

勿論私もそうだ

植物のように、決めた時期に真新しい芽を出して、葉を茂らせて、花を咲かせ自分の意志で決めた通り 

にして実をならせて長い休眠に入ったり葉を落として静かな時を過ごしたりする

人間はそれができない、いつも忙しく動き、無駄無い時を持ち、まるで休むことや留まることが

罪のように思って動く、憐れで小心な生き物なのだ

でも神の配材で、人として生まれてしまった、人として生きるしかない、選択肢はないのだ

自然とは無限の可能性もあるが,一者択一で、他の生き方はないのだ

だから多くの植物に接して別の生き方を見て楽しむのであろう

老い先短くなってから漸く其の事にきずいた、後悔先に立たずだ、

だから別の見方で周囲を見て、楽しみを広げたいと思っている、これ以上広げてどうするんだという意

見もあるが

我家の先々代から我が家に居る、鹿の子百合が咲き出した、もっと満開まで待っていればもう少し

良い写真が撮れるのだろうが、待ちきれなくて撮影してしまった

我が家にはあちこちに鹿の子百合が散らかって今八か所にある、一番賑やかで良い時季になってきた

大分咲いてきた

  

絶えそうに成りながら、球根だから生き延びてきた

この場所が元祖の場所だ

裏山にも植えてある、元気が良い、日照、肥料などが丁度良いのかもしれない

今年は少し肥料切れらしい、下葉が枯れ込んで来た、冬は掘り上げて囲い、来春はもっと肥料を挙げて

やろうと考えている。

連続して植えっぱなし措くには相当量の肥料が必要である。

花はていれしだいで、正比例なのだ

よいいろあいで咲いてくれるところもある、見事な咲きっぷりだ

家の隅の、高砂百合にこんなのがいた、もうあきがすぐそこまで来ているのだ

そんじゃあ又話すべえ

遊童子

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