おばんでがんす
野反湖の黄菅を見て頂いたが、その他の花も又見事に咲いている
野反湖を望みながら伊吹虎の尾がとても綺麗に咲いている
花も沢山あるが、昆虫も多い。伊吹虎の尾も余程蜜があるのだろう、どの花にも虫が掴まり纏わっている
野菖蒲が一段と妖艶に成って咲いている、
野反湖をのぞき込む、上州鬼薊もあちこちで群生している、鬼と名前が付くだけに棘が痛い
つんとお澄ましの野菖蒲は確かに絵になる
漸く里山から上がって来た秋茜が秋に備えて体を赤く染めようとしている
黒羽せせり」がじっと蜜をすっている
沢鵯がたくさん小群生している,晩夏になれば浅葱斑が又たくさん来ることだろう
そこいらじゅうで下野草が咲いている、姉の大好きな花だ
山苧環と苦菜の共演だ
よつばひよどりもある、どうしても晩夏には、アサギマダラを見に来なくてはなるまい
上州鬼薊も多いが普通の野薊も沢山ある
昆虫たちを呼び寄せて楽しんでいる薊が湖水の周りには数限りなくあるもう一週間もすれば
目がおかしくなるほど咲くだろう
コガネムシか?甲虫がどの花にもついている、まるでこれは俺の花だと言っているよう
少し雲がかかってきて如何にも深山の湖と言う感じを醸している
矢張り鬼薊は鬼薊だ、俯いているのか項垂れているのか不明だが、やはりつよそうだ
そして野反の花は皆昆虫と仲良しだ
日陰蝶や黒日陰やせせりと言った蝶が;動物のフンに取り付いて食べている、何らかの成分があるのか??
四葉鵯はどちらかと言うと水分が多いのが好きらしい、若しかしたら今月中に浅葱斑さんが来るかも
野反湖の周囲はミセスコンテストの真っ最中だ
ミスがきれいに咲けば、すぐに昆虫が来てミセスになってしまう
こうして撮影している時にさえ、次々と授粉して実をつける事に集中している
良く男の花道だとか、役者の花道だとか、出世の花道だとか色色な花道が在って言葉に使うが
本当の花道は此れだろう
一輪でも群落でも或は二、三、輪でも花は美しい、この美しさに惑わされて動物が寄ってくる
昆虫も鳥も人も同じ範疇にいる
人生にはこんな道標はない、自分で行く先は判断してゆかなくてはならない
そしてひき返す事もやり直す事も出来ない、平坦の道は野反ダムコース、で湖畔コースは湖の縁の風光明媚な
楽しいコースだし、富士見峠コースは急登の楽しみがあまりないコースだ、然し達成感はある
どのコースを選んでも過程も結果も自分で選んだ道だ
草に紛れてひっそりと咲く蔓紫陽花でも花が咲けば咲いただけ善しとしなくては、花も見ずに見せられずに
一生を過して埋もれてゆく人が大半なのだから、色色なことを思い神仏に感謝しながら帰路につく
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
今回は、みごとに花開いて綺麗です
姉が、師匠の奥さんのように急死しまして、色々慌ただしい、寂しい日を送ってきました
5人兄弟で、もう三人も亡くなってしまい残念です
花々を見ると癒されますね
知らぬ間に夏休みに入っていて、休みの度に子守です
こめんとありがとうございます
お姉様の事心からお悔やみ申し上げます
華は毎年咲いて呉れます。勿論その歳の調子で見事に咲くか、あっさりと咲くかは多少違いますが
冬の間にか或は春先かに草刈りをして貰う位で、あの何十と無く沢山の種類の花を咲かせて見せる
位特に高山植物は短い夏の間に種を維持継承しなくてはならないので忙しい事です
そして花は蘇りが有ります
然し動物の死には蘇りが有りません
そして再び同じ華を咲かせることはできない
長い時間をかけて生と死の間を歩いて行くのです
どんなに急ごうと、ゆっくりとで有ろうとも
生きられるだけ生きる
、神から戴いた寿命のなかで右往左往するのです
慶びと悲しみ。迷いと決断、幸と不幸、、、、、
それらの相反する物にそれぞれぶつかった時に花が癒してくれるのです
だから、花と生と死は表裏一体なのです
そしてどちらの側に附く分にしてもそのショックを軽減して心を平かにしてくれます
では又