遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

 赤城山小沼

2023年08月12日 | 

おはようがんす

毎日の、夏日、猛暑、酷暑、人命に危険な暑さ、この次は何と言ったらよいのか。解らない、、、、

この次はもうなにも言わなくて良く成って仕舞うのかもしれない、、、そんな事が呟きたい暑さだ、堪らず赤城山に一時の避暑に行った

旧の有料道路から登るに従って涼しくなる、海抜の事も在るが戦後植えた木々がとても大きく成って来た、緑の涼しさは抜群だ

県道の途中に勢多農林高校の演習林がある。昔学生の頃自転車でここまで登ってきて、泊まり込みで植林や下草刈りをした事が懐かしく

思い出される。更に上って大沼へ、そこから右に折れて一段上の小沼まで来た

地蔵が岳登山口の駐車場に駐車して、かねて利用している、軽バンキャンピングカーにタープを付けてすっかりセットを仕手コーヒータイムだ

友人と二人で少し寒ささえ覚える環境を満喫する、三時間ほどの短、短期、の避暑だ

山は何にも言わないが、歓迎の花が咲いている。もう秋の花達だ、八月は初秋の時季なのだ

反魂草、が咲いている、お盆に魂が反対に下界へ下りて来る、そう思わせる名前と花なのだ 

 

秋の七草の一つ、尾花が満開だ里でもボチボチだが山はもう満々開だ

 

小沼の外周の尾根をめぐる道が薄の穂で埋まってしまうようだ

 小沼の周囲には特に令法のきが多い

昔は令法ご飯と言うのを食べた、令法の若葉をきざんでご飯に入れる五月の山行きの時の御馳走だ

ヤマゴボウや、普通の牛蒡などを甘辛く煮付て混ぜご飯に春の薫りと味を愉しみビタミンを得る古人の知恵だ

 

山上に静かに水を湛えている小沼は静寂の湖だ、愛犬を水浴びさせている人がいた,此れも運動と避暑の一端だという

 

当にお犬様だ、ペットとは際限がない愛玩動物で、古来その歴史は異常ともいえる歴史がある、庶民は皆番犬として或いは狩猟用として飼った

秋を代表する山野草の「岳蕗」が咲いている、色鮮やかな、存在感の物凄い草だ、癖は強いが茎は食べられる

 

山中には至る処にある黄金色をした花は,小判草といわれ縁起の良い花として用いられた

 比較的に目の付く処にある。大型の花

大型と言えばこれも大型で彼方此方に存在感を発揮している、越冬するための蜜を大量に持った蜂の好物だ

 牧場の柵をはるかに凌駕している、此れも味は今一だが食べることができる

雲上に頭を出して背丈を誇る獅子独活には畏敬の念さえ覚える山の秋を彩る花の一つだ

そして花が散った後の花の花髄が線香花火のようになり然も大変赤みを帯びて、散った後も未だ美しさを保ちたいという花の矜持であろう

原っぱの低姿勢の草たちの中に少しだが、都草、が咲いている、よくがんばって花を咲かせているなあと思う

昔は我家の周りでも沢山あって牛や山羊の餌に一緒に刈り込んできた物だが今は希少価値の高い花になって仕舞い結構高い山の上に行かないと

見えない靫草だ、昔弓矢の矢を入れて措く道具に形が似ているという理由でこうした名前が付いたと聞く

地味な花だがよく見るととてもふくざつでこうきな色と形をしている

もう散ってしまい最後の花のようだ

餘に種類がほうふで名前を同定するのが難しい花の一つ薊だ

此のノハラアザミも沢山見られる花だが春咲く野薊と違って、どこか寂しそうな愁いを帯びた花だ、そして最終の花を代表する様に

敵から身を護る防具の棘が特に固く鋭い、そして結構背が高くなる、生き残らなければという使命を持って居るのだろう

少し欲を掻きすぎるのでは、、、と思えるほどの花の付き様あるそして未だ未だ此れから花を咲かそうと思って居る強かな花だ

秋には秋の覚悟を持った花達の生残り戦術を持った咲き方が楽しい

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

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