おばんでがんす
今日は例年とおり迎え盆の日だ
早朝早起きをして山へ盆花を獲りに行くのが年中行事のひとつなのだ、が、今年は愈愈相馬ヶ原演習場が全面侵入禁止に成った
今迄もそだが、地元の人たちは大昔からの慣習でお目こぼしをして戴いたが今年はとうとう駄目だという
演習場の設置に協力し広い土地の接収に協力した経緯があり克っては入会権が有って、協力者と地元農家には特別に入会権が認められていた
疎の証たる入場券札も各自持って居た、、、、、がある日ある時入会権は認めないから全部入場観札巻も返還する様にと言うお達しが有った
その篇の実情に疎い農家さんを皆一括して対応するとかなんとか言ってその鑑札を全撤収してしまった
いま思えば最大の入会権の証拠であったが無学の者の悲しさで何の疑いも無く応じてしまったものだ
爾来入会権は放棄してという書類に成って帰ってきてとうとう立入り禁止になって仕舞った
戦後昭和36年頃まではある程度地元民に限り認められていたが、だんだん網が厳しくなり。本年とうとう全面入場禁止に成った
何百年も入っていた入会権が亡くなってしまったのだ、元元の土地は民地と国有地と半々ぐらいで有ったのだが
民地は一部返還に成ったところも有るが、わずかだ、
かいつまんで話すとそんな実情で有った、有史以来初めて盆花を買って今年は進ぜた。変な気分だし自然からケッチンをくったようで
なぜか心穏やかではない
若い者が早起きをして言って来たが無駄であった、そんなわけで若い者の留守中としよりしごとで、茅を手縄に綯っていた
茅は六月の六日に取る、そしてひかげで乾燥して措きけさ根元の方の部分だけを木槌で叩いて柔らかくする
この時茅を叩く石を「藁叩き石」と言いかなりの大きさの上部が真っ平らな石がセットしてあってそこで叩くこの石は昔は荒縄を綯う時に矢張り
藁の根元を叩くものであった、昔は家の中に有ったが今はそとで庭石に成っている
縁側に原材料を置き、一段上の座敷に座布団を敷いて縄綯いをする、右端の見えるのが件の茅だ
胡坐をかいてその折りたたんだ足の間に綯った縄をはさんで措き少しずつ尻の下から後ろへ引き出す
仕舞いにはこんな状況に成る
後ろも見ないで段段引き出していると何時かしらこんな具合に綺麗な乱円に成る、昔はこのようにして一晩十ひろを綯うのがノルマであったそうだ
例によってむちゅうで作っているから途中経過がない
、、、、、、そうしてこうなる
一応完成した状態だ此の盆棚も私の祖父が曾祖父の新盆に新調したものを今も使って居る
そしてご先祖様の有るだけのお位牌をきれいに埃を払いからぶきを仕手段中に並べる、古い順に奥の一段上から並べて来る
位牌も古すぎて判読できないものが多い、判読できる内でも古い物は、「寛永元年」と読める、後も沢山有るが古すぎて読めない
真新しい位はいが最近の二位牌である
此れも亦一つの良し悪しは問わずひとつのれきしなのだ
右が七年前の妻で、ひだりが13年前の母だ
数々の花をしんぜて先祖を供養する
棚下の西瓜と南瓜は
無縁仏に進ぜるものだ,飢餓地獄にいる餓鬼たちもお盆の藪入りには許されて地獄の釜の口をあけ放ちてそとへでられる
その時に行く家のない者は無縁佛としてあちこちの家に立ち寄り逗留する、その時に食べるものを棚下に措く、今夜から十六日の朝飯まで
毎日無縁様にも進ぜるのが家例だ、いろいろある
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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