おはようがんす
13日は恒例の迎え盆だ、すっかり準備ができたら息子と二人振りに入る体を清めてから仕度を整え、菩提相に行く
弓張提灯と蝋燭は必須のものだ、お寺から先祖の種火を戴いてくる、それを自宅まで消さない様にして持参する
門先の迎え火の麦藁双つに火を移す、勢い良く燃えた火の熾きから線香の束に火を移す
その線香を奥の間の沓脱石から縁側へ。そして奥の間へと入り香立てに線香を進ぜる
迎え火は其の儘、門先を照らす灯りとなって門の柱に射して措く
なぜ玄関から入らないかと言うと、昔嫁に来た時も縁側の沓脱石から奥の間に入るのが仕来たりだ、そしてやがて死が訪れた時も棺の輿が奥から
出棺するものだ、そのためにご先祖様は必ず縁側の沓脱石から入りそこから出るのがきまりなのだ
そして無事に自宅の盆棚へお月に成り、家族子孫との再会を果たすわけだ
どういう訳か不明だが。海なし県では、海の珍味は進ぜない、すべて山や畑で採れた物を進ぜる、そしてそれも水瑞しい物ばかりを進ぜる
盆棚の下には西瓜や南瓜と言って丸のを進ぜる、そのわけは、地獄に堕ちた者たちにも。八月一日の「釜の口開け」には地獄の釜の蓋が開いて
外へ出られて故郷へ帰れる、その飢餓のせかいで暮らしている、餓鬼たちは常に喉の渇きに苦しんでいる
奏した者たちが見ず知らずの他人の家に行って盆の功徳にあずかる、そしてその時に西瓜や果物と言った水瑞しい物を戴いて喉を潤すのだ
だから我が家では盆棚の下には必ず無縁様のお食事も一緒に出す
施しを仕手優しさを表し、自分は天国へ行きたいと願うささやかな希望なのだ
こうして恒例の迎え盆が始まり十五。十六、のお盆休みの藪入りができるのだ、本当は心優しい初秋の暑さ厳しい時のほっとするものの慈悲なのだ
お盆は帰省もないご隠居様は、こうして日がな高校野球を見て過ごす、平和とはありがたい事なのだ
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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