
ケイトウの花。広い方向に測ってみると20センチ。
あら・・クモの糸が張られているし・・

一度、根っこから抜き取って処理を考えたのですが・・
1本の木?に、これより一寸小さめの塊(花)が8個。
更に小さめを含めると、けっこう迫力のあるケイトウです。
もう暫く残しておきましょう。

以前UPしたツリガネニンジンの花は、黄色く褪せてきました。
・・・が、こちら

ここも肥料が効いたか、丈が大きく高い場所で120センチあまり。
花に言われそう・・肥料が効きすぎだっちゅうの!ってね。
後ろ側のトランペットとコラボで









9月になると必ずン十年前に、やはり雨台風による
土砂崩れで亡くなった義祖母を思い出します。
逃げ遅れた義祖母は、柱と流入した土砂の間に挟まれ
内臓をえぐられるという怪我を負いました。
救急車の中では、気丈にも
名前と生年月日を答え「早くして」との言葉が最後だったと聞きました。
家屋になだれ込んだ裏山の土砂の撤去。
1軒だけの災害は、激甚災害とはみなされず、
家屋などの復旧は、当被災者自らの力で、立ち直らざるを得ません。
でも地元の方々が勤めを休み、
総出で助けてくださったこと、親類の全てが駆けつけての作業。
あのときのご恩は、いつまでも心に残り、忘れることはありません。
私もまだ若く幼い親でありながら
地域ならではの人情・スクラムを組んで助けてくださった
多くの人々の情けが、深く心にしみ込んだものです。
そんな中、大阪で下宿していた学生の弟に夫が電話をかけました。
「ばあ様が死んだので即・戻れ。
電車は不通だが山の中を這ってでも帰ってこい」と。
長男の夫が、末の弟にそんなしゃべり方で電話を

私「え?無理では?帰れるはずないでしょ・・」と心で思う

ところが義弟・・戻ってきました。
ン十年前のことですが、どうやって戻ってこれたのか。
電車不通・道路寸断・・本当に山の中を這った?
ずいぶん後で夫に「あの時、義弟はどうやって帰ったの?」と聞いたことが。
夫「火事場では、その気になれば出来んことはないんや」って。
今年亡くなった義母も・・私に言ったことがあります。
「女は、何か大事があると泣くだけやが、男はそうはいかんでな」って・・
なにかと女々しい私には、耳の痛い義母のひとこと。
怒られたり、嫌がらせには泣かないけど
優しい言葉や思いやりには、涙腺が全開してしまう。
自分自身、一番イヤなところです。
自分の性格をまとめれば、シブトク・シタタカ。
感情の起伏激しく、情にもろいってところでしょうか。
近年、一昔前(戦前)の人の「男は男らしく女は女らしく」に比べれば
団塊世代は半々ぐらいで、男と女の土俵分けをしているか・・?
ところが団塊ジュニアになると・・双方の土俵に男女半分ぐらいは混在?
男はこうあるべきの姿が、ぼんやりしてきたような気がします。
思い出UP、被災の話題がとんだ方向に向かっちゃいました

