論語を現代語訳してみました。
学而 第一
《原文》
子曰、君子食無求飽、居無求安。敏於事、而愼於言。就有道而正焉。可謂好學也已。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、君子〔くんし〕は食〔しょく〕に飽〔あ〕くことを求むること無く、居〔お〕るに安〔やす〕きを求むること無し。事〔こと〕に敏〔びん〕に、言〔げん〕に慎〔つつし〕み、有道〔ゆうどう〕に就〔つ〕きて正す。学を好〔この〕むと謂〔い〕う可〔べ〕きのみ。
子 曰〔のたま〕わく、君子〔くんし〕は食〔しょく〕に飽〔あ〕くことを求むること無く、居〔お〕るに安〔やす〕きを求むること無し。事〔こと〕に敏〔びん〕に、言〔げん〕に慎〔つつし〕み、有道〔ゆうどう〕に就〔つ〕きて正す。学を好〔この〕むと謂〔い〕う可〔べ〕きのみ。
《現代語訳》
有若〔ゆうじゃく〕先生がさらに、『丁寧すぎると、かえって相手方への、親しみの心が失われることもあります 』ということについて、次のように述べられました。
先師(=孔子)は生前中、このようにも仰られていました。
いかに、丁寧なおもてなしであっても、君子〔くんし〕にしていえば、豪勢な食事だったりを求めたりはしませんし、豪華絢爛〔ごうかけんらん〕な場所を求めたりもしません。


しかし、亡き人が古い友人だった場合、ことばを飾ることもなく、ただひたすらに、その死を哀〔あわ〕れんでもいただけます。

こういった君子を見習い、自分の至〔いた〕らなさを問う、と。
ゆえに先師が仰られた、『もしも、自分に足りない部分があったなら、すみやかに心を改め、学びをえることが大事なんだよ 』に、通じていくのでしょうね、と。

〈つづく〉
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳については、同出典本と伊與田學氏の『論語 一日一言』から参考としている
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより