論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
子曰、二三子、以我爲隱乎。吾無隱乎爾。吾無行而不與二三子者。是丘也。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、二三子〔にさんし〕、我〔われ〕を以〔もっ〕て隠〔かく〕すと為〔な〕すか。吾〔われ〕は隠す無〔な〕し。吾 行〔おこ〕ないて二三子と与〔とも〕にせざるもの無し。是〔こ〕れ丘〔きゅう〕なり。
《現代語訳》
孔先生は〈さらに、桓魋〔かんたい〕とその従事者〔じゅうじしゃ〕に対して〉、次のように仰られました。
よいか、諸君〔しょくん〕。私ごときが諸君らに対し、何ごとか企〔たくら〕んでいるとでもいうのか。
私は何ごとも企んでなどおらぬぞ。
私はただ、天命に従って諸君らとともに仁徳を磨く者でしかないのだ。
これこそ、この丘〔きゅう(=孔子)〕なりぞ、と。
〈おわり〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句については、前述した『天 徳を予に生ぜり』のつづきとして語訳してみたのですが、孔子は桓魋からの面会を拒否し、そのことによって桓魋から殺されそうになりますが、結果として孔子は、弟子も含めて誰一人として殺されずに済んだ背景を考えてみますと、おそらく孔子は、毅然とした態度で桓魋を説き伏せたんではないかと思われます。
そして、そのとき孔子が放ったことばが今回の語句の内容ということですが、もしもこのとき、桓魋を説き伏せることが叶わなければ、孔子は間違いなく殺されていたであろうし、まさに、生死をかけた孔子の渾身のことばだったんではないでしょうか。
なお、当時としては、聖人や賢人とよばれる人を殺めたりすれば、自分の身をも滅ぼしかねい風潮があったので、おそらく桓魋は孔子の今回のことばによって、身を引かざるを得ない状況になったんだと思います。そしてその腹いせに、桓魋は部下に命じて大樹を切り倒さしたのだと…。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考