論語を現代語訳してみました。
雍也 第六
《原文》
子曰、回也其心三月不違仁。其餘、則日月至焉而已矣。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、回〔かい〕や其〔そ〕の心〔こころ〕 三月〔さんげつ〕 仁〔じん〕に違〔たが〕わず。其の余〔よ〕は、則〔すなわ〕ち日月〔にちげつ〕に至〔いた〕るのみ、と。
子 曰〔のたま〕わく、回〔かい〕や其〔そ〕の心〔こころ〕 三月〔さんげつ〕 仁〔じん〕に違〔たが〕わず。其の余〔よ〕は、則〔すなわ〕ち日月〔にちげつ〕に至〔いた〕るのみ、と。
《現代語訳》
孔先生はさらに、次のようにも仰られました。
回(=顔回)もまた、〈冉雍〔ぜんよう)のように〉 "君子" としての心構えを軸として、常に日々の暮らしの中で行っておる。
しかし、ほかの弟子諸君というのは、もって一日とか、一カ月つづく程度のものじゃな、と。
〈おわり〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
他人から見れば、貧しい暮らしで不自由なんだろうと思うかもしれないが、当の本人にしてみれば、なんの不自由さも感じてはいないわけで、余計な文化や文明(物質的豊かさ)を押し付けるだけでは、そこに暮らす人々が心の底から幸福を味わうことなどできない、というのは現在の日本社会を観れば明らかではないのかな。
一度失ってしまった善良な心というものは、それを取り戻すことは決して容易なことではないのであって、まずは余計な邪念に心乱されぬようにありたいものですな。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考