そもそも「同性愛」という文言自体が、真新しいものであるのに、それを否定的に表現すると「差別だ!」と揶揄されるのは如何なものでありましょうか。
しかも「愛」という文言自体が、本来の日本人には馴染みがうすく、多言するようになったのは、ここ5・60年のことであり、それはテレビドラマや恋愛小説などの普及とともに、日本人に多く知られるようになっただけのことであります。
そしてなにより、「愛」という言葉は平和や自由などと並び、非常に尊いものでもありますから、とても軽々しく口に出せるものではなかったはず。
ところが現代人の多くがアメリカナイズされ、容易く口にするようになり、そうした日本人の感情の変化というものは、完全に置き去りにされてしまうことになりました。
こうした流れの中で、本来あるべき「愛」の意味を履き違えた結果、西欧的な人権団体ごときに隙を与えてしまうことに繋がり、またしても、「差別のないところに新たな差別」を生み出してしまったのであります。
まぁ、これも自業自得としか言いようがありませんが、タブー化されやすい分野をうまく利用する反社会的人権団体などには、つくづく頭が下がる想いであります(´・ω・`)スゴイネー!
LGBT?だかなんだか知りませんが、わが国においてさらなる社会問題として定着しないためにも、法整備の調整を迅速に進めるか、もしくは、こうした反社会的団体などを徹底的に調査し、追放か解散に追い込むしかないでありましょう。
最後に、同性だろうが異性だろうが、「恋」というのは、"人知れず"で、お願いしたいものです。
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