てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

旧北国街道をゆく⑮小松京町編

2019年08月18日 12時35分07秒 | 【ヒゲ親父】街道をゆく
今日はここから~


味方の本、カックラカモ~ン щ(゚ー゚щ)
ほいきた~ 

小松は、北から松任町、京町、竜助町とクランク状にあり、本陣、脇本陣、問屋場が置かれた宿場として賑わいを見せていた。
と書いてあります。


梯川沿いのドロ町改め大川町から


このあたりは新しい町並みですが、しばらく歩くと

旧街道沿いの家並みがあらわれます。


こういう古くからの町屋が


多く残っており、


そういうお宅には玄関にこれが貼ってあります。


ここは松任町。

慶長三年(1597年)小松城主として丹羽長重が松任から移ってきた際に松任の町人たちも移住したことに以来する。

この交差点を右折します。





京町です。

名前からしてわかる通り、ここは小松の中心で昔は相当賑わっていた地域だったとあります。

ここには小松城の三の丸跡地である芦城公園(ろじょうこうえん)があります。


入ってみよう。


説明板があった。

江戸幕府は一国一城令の例外として金沢城の他に、前田利常の隠居城として小松城を置くことを許可した、とある。

明治時代に公園として整備され、松や藤の名木があると書いてあります。


これは立派な藤の木だなぁ。


すごいね!

これは国内トップクラスの巨樹の藤なんだってさ。

兼六園とまではいかないけど、なかなかの庭園であります。


滝もありました。


いいお庭です。


なんだこれは!


珪化木(けいかぼく)

植物の化石で小松の山間部にある瀬領町で発掘、
およそ三千年前に火山灰に埋まり炭化したんだって

すごいなぁ~、三千年前とは・・・

マジマジ

芦城公園を突き抜け、もう少し進むと


小松城天守閣跡があります。


はいどん!

いいですね。

階段がありました。


その時、ゴォォォ・・・と音がしたので空を見上げると全日空の飛行機が、

小松空港が近くにあります。


さて先ほどの道に戻り、


旧街道を歩きます。


大通りも越えて、


これまでも何度か見てきた高札場跡です。


この小さな川と小さな橋は、

九龍橋川と、

九龍橋。

そして旧街道は、


またクランク、

鍵型道路ともいいますが、防衛上の役割をもっています。

味方の本にも、
松任町、京町、竜助町とクランク状にあり、とあるからね。

竜助町に入りました。


このあたりに、


味方の本によると、一里塚跡があるはずだ。


立派な町屋のお茶屋さんがあります。


あっあった。その前にあったよ。

一里塚跡の看板。(簡易タイプ

猫橋とな!?


ほぉ、


このあたりは、


特に、


お寺と神社が集中しています。
この神社はおもしろそうだ、入ってみよう


本折日吉神社。


なかなかの特徴的な神社のようでして、


ここの神社、日吉神の使いとして、

神猿の真猿(マサル)というお猿様

おぉ~これがマサル様である。


とにかくこの神社には、多くのものがあります。

大黒天様の前に、叶い石。

願いを込めて撫でるのだ

磐座(いわくら)?

すみません、意味不明です

弁財天の神使いの蛇に、


子授け石に

若い夫婦よ願いを込めて撫でるのだ

針塚に、


これは、


芭蕉留杖の地。

小松を一泊して去ろうとした松尾芭蕉を、小松の人々に引き留められてもう一泊したんだって、
その夜に開かれた句会にて一句よんでいる

『しほらしき名や小松吹く萩すゝき』だ。
訳:小松とはなんと可憐(かれん)な地名であることよ。その名の通り、この辺りの野には、かわいらしい小松が生えていて、その小松の上に吹き渡る風が萩やすすきをなびかせて、旅愁を感じさせる秋の景色である。


旧街道に戻り、


北国夢街道。





おっと出ました。

本折地蔵堂、浄水地蔵尊です。

ここにかってあった龍昌寺に松尾芭蕉が泊まったのですね。



さて、今日はここまでにします。




今回これだけ進みました。





グーグルマップではこう






次回は小松串茶屋編に続く。




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