おかんのリュック

「遊ぶ子どもを縁側で お茶をすすって見ていたい」
こんな夢を描いて生きる日々をつづります。

我が家の一室

2011年04月26日 16時52分44秒 | 旅の跡




二度目の仙台。
住まいは、3DK?とにかく広い。
今はDKとテレビの間の二つしか使用していない。

今日は六郷小学校の敷地の一部をお借りして始められることになった
遊び場に必要な道具を取りに公園に。

でも、開催日までしまっておく場所がありません。

で、我が家の一室、4畳の部屋と、広い玄関ホールは

「ぼうひろ若林倉庫」です。いいでしょう!

孫との一日

2011年04月24日 00時41分24秒 | 子ども.遊び


2月半ばの晴れた暖かい一日。
仙台に再び赴いて3ヶ月。富士市に用事があって帰省。
(そう、この後2月末の帰省時に事故ったのでした…)
久々に孫のショウキと一日遊ぶ機会をもてました。
以前も遊びに行ったことのある入山瀬の「SL公園」
遠くに雪を頂いた富士山がきれいに見えるいい日でした。



以前遊びにきたのは4歳かな。
上っていくことのできなかったこんなところまでも
面白がって何度も行っていました。
最初は慎重でも、慣れてくると大胆になり見ていてハラハラもします。


このあと、3歳から遊びに行っていた「たごっこパーク」に。
ショウキは「火ボーボーの公園」と呼びます。焚き火です。久々です。

着くなりスコップをもって一人でどこかへ。

しばらくして、「おか~ん、顔ができた!」

連れて行かれた先の地面に見たものは



スコップで土を集めた様子の顔に、転がっていた木っ端で目、口。

う~ん、参りましたなぁ。

4月から小学生になりました。

失わないで!この感性。と思わずにはいられません。


最近の海岸公園冒険広場

2011年04月23日 20時34分57秒 | その他
4月21日、久しぶりに公園にはいりました。
4月3日以来、何回か公園には行きました。
行く度に公園の周りの景観は変わっていました。

でも、何度かいくうちに、大地が蘇ってきている気がしています。
私たちもぼうひろ復興にむけてできることから始めようと動き始めました。
そんな気持ちが伝わったかなって思っています



つくしです。



公園外側の松林は、一次瓦礫置き場に指定され、どんどん瓦礫が運び込まれています。
でも、園路の桜はこんなにしっかりと、きれいに咲いています。

公園に遊びにきていた人たちからも、「再開を待っていますという」
応援メッセージがたくさん届くようになりました。

できることから少しづつ。
必ず再開します。

4月3日・海岸公園冒険広場

2011年04月23日 20時14分09秒 | その他


公園を囲んでいた松林は津波でなぎ倒され、仙台平野の畑は水びたしの状態。



事務をとった管理棟事務室は津波に襲われ考えられない状態。
床から二メートルを超えるところに津波の跡がありました。

でも遊び場は残っていました。



嬉しかったです。
でも、大地から伝わってくるものがありませんでした。傷ついているのです。

そして私もこの日はとても疲れ早寝をしました。





3月30日

2011年04月23日 19時39分33秒 | その他
群馬の祖母の家に母とそのままお世話になり、30日朝、
高崎駅まで送ってもらい私は上越新幹線で新潟へ、母は東京へとそれぞれの帰る家に向かいました。
新潟から、新潟交通の高速バスで仙台入りです。夕方には仙台駅に着きます。

思えば2月26日に富士市を目指し仕事を終えて仙台を発ってから
ひと月近くが経過しました。

26日夜、東北自動車道での単独事故。車は廃車の状況。
埼玉県の救急病院まで、富士市から迎えにきてくれた友人。
ご心配とご迷惑をおかけしました。
本当に色々な方達にお世話になり、迷惑をかけてしまいました。

仙台に帰りたい、と気持ちはあせりました。
でも、仙台の仲間にも「傷も心も元気になって帰って来い」との温かい、
私の気持ちを察し、気を使ってくださった電話に、焦らずきちんと治療が完了してからにしようと決心がついた時の3月11日の地震でした。

さらに気持ちは仙台に向きました。
みんなは無事だろうか、なんで私は仙台にいなかったのだろうか。
そんな自己嫌悪に似た気持ちで日々実家で悶々と過ごす日々。

そんな私の気持ちを察してくれたかのような温かい言葉が仙台から届きました。

「仙台の中の者同士では繋がらない情報も、県外のおかんとは繋がる。
 そこにいて中継役を果たしてくれ」

仙台のみんなは大変な思いをしている。私は離れたところにいて何もできない、と苦しい思いでいた時、この言葉は「離れたここにいても、みんなの役にたっているここでなければできない役割があったんだ」と嬉しくなりました。
そして被災しながらも、遠くにいる私の事も気遣ってくれる「心」に感謝しました。

静岡の仲間、仙台の仲間、本当にありがとうございました。