仙台市に居を移し「認定NPO法人冒険あそび場‐せんだい・みやぎネットワーク」で働いていましたが、
2016年3月末を持って定年退職しふるさとである富士宮市のお隣、富士市に戻ってきました。
仙台では東日本大震災を経験し、職場だった仙台市海岸公園冒険広場が被災、閉園中のため、地域の
小学校、公園、仮設住宅の隣接する公園等で、子どもたちの遊び場、地域づくりを行ってきました。
震災から5年3か月、復興公営住宅もでき多くの仮設住宅が3月~6月にかけて閉鎖となります。
また新しいコミュニティーづくりをしなくてはならない方々、閉校となる学校など様々な状況にあって
いちがいにもう5年、とは言い切れません。人々の心の問題はまだスッキリとはいっていないのが現実です。
仙台市の被災地だけをみると、堤防も整備され、県道のかさ上げ工事も進んでいます。
そして職場だった海岸公園冒険広場にも工事が入り、避難場所の整備など、平成30年の再開に向けて
急ピッチで工事が進んでいます。
人々が戻らない、戻れない地域にあって、再開後どのような賑わいをみせるのか、この地域の活気に繋がると
いいです。
さて、富士市に住み始めて約2カ月、まだまだ落ち着きませんが、これからも子どもたちの「遊ぶ」に関わって
いきます。