おかんのリュック

「遊ぶ子どもを縁側で お茶をすすって見ていたい」
こんな夢を描いて生きる日々をつづります。

3月30日

2011年04月23日 19時39分33秒 | その他
群馬の祖母の家に母とそのままお世話になり、30日朝、
高崎駅まで送ってもらい私は上越新幹線で新潟へ、母は東京へとそれぞれの帰る家に向かいました。
新潟から、新潟交通の高速バスで仙台入りです。夕方には仙台駅に着きます。

思えば2月26日に富士市を目指し仕事を終えて仙台を発ってから
ひと月近くが経過しました。

26日夜、東北自動車道での単独事故。車は廃車の状況。
埼玉県の救急病院まで、富士市から迎えにきてくれた友人。
ご心配とご迷惑をおかけしました。
本当に色々な方達にお世話になり、迷惑をかけてしまいました。

仙台に帰りたい、と気持ちはあせりました。
でも、仙台の仲間にも「傷も心も元気になって帰って来い」との温かい、
私の気持ちを察し、気を使ってくださった電話に、焦らずきちんと治療が完了してからにしようと決心がついた時の3月11日の地震でした。

さらに気持ちは仙台に向きました。
みんなは無事だろうか、なんで私は仙台にいなかったのだろうか。
そんな自己嫌悪に似た気持ちで日々実家で悶々と過ごす日々。

そんな私の気持ちを察してくれたかのような温かい言葉が仙台から届きました。

「仙台の中の者同士では繋がらない情報も、県外のおかんとは繋がる。
 そこにいて中継役を果たしてくれ」

仙台のみんなは大変な思いをしている。私は離れたところにいて何もできない、と苦しい思いでいた時、この言葉は「離れたここにいても、みんなの役にたっているここでなければできない役割があったんだ」と嬉しくなりました。
そして被災しながらも、遠くにいる私の事も気遣ってくれる「心」に感謝しました。

静岡の仲間、仙台の仲間、本当にありがとうございました。


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