午前中ポカポカでしたが、午後はまた風が出てきました
人の死というものは、突然にやってくるようです
姉の時も本当に突然だった!母も早かったし、姉もまた早かった
だから(ウチの家系は早死?)気になったのだ。父親はそうでもないらしい…
すぐ上の姉も、くも膜下出血を起こしている
幸いなことに命は助かったが、それ以前、私は嫌な予感がしていた
偶然かもしれないが、その嫌な予感が当たってしまったのだ
たまらなくなって、
「死んじゃだめだよ!ちゃんと元気で生きててね。」
そのようなことばを姉にかけていた。今からちょうど2、3年前だったかな…
亡くなった姉が引き合わせてくれた、といっても過言ではないだろう
それまでの私は、姉の病気が怖くて、会うことを拒んでいた
また、亡くなった姉から、会わないほうがいいだろうという忠告も受けた
だがあの姉がおかしかったのだから、真実は全くわからない
半分本当で半分偽りの世界だったのかも
きょうだいの確執は私にはわからないところで、勝手にぐるぐるうごめいていた
姉が亡くなったことで、きょうだいの確執はおさまった
兄もまたお金に困っていたのだろう。実家は貧乏だった
貧乏だったが、りんご畑があった。それを売ったお金が残っているはず…
とかなんとかいってたな。すぐ上の姉が言うには、
「私は父親からなんにももらってないのよ!」
それを聞いてびっくりした!本当なのだろうか?
しかし、私にはそんなことはどうでもよかったのだ
姉はくも膜下出血の前に、統合失調症でもある
歩行が少しだけ気になるが、ほとんど普通の人とかわらない
車の運転もうまいし、料理も段々慣れてきたようだ
ただ、元気でいてくれれば、それでいいのだ
早くに両親を失くしたので、一番年の近い姉が心の頼り
夫とは消化不良を起こしそうな感覚だから、なにも考えていない
またそのような家族であってもよいと思えるようになった
働ける体であれば、たぶん私のことだから、既に別れていただろう
しかし、こうして離れて暮らしてるのだから、夫も自分が帰省しないことで
私との距離を保っているのだと思う
「普通の家族って、どんな家族?」
そんなこと、考えたことありますか?
生まれたときから、幸せな家庭ではなかったかもしれない
父親が北海道に出稼ぎに行ったときは、家族全員喜んだ!
梅、桜、柿の木、野菜やりんご畑、田んぼ、うさぎ、猫もいた…
懐かしい記憶がよみがえる
なにを写したかったのか…?
息子はカメラの備品というか、レンズもそうですが、また増えてきました
写真家にでもなりそうな気配ですよ
新米を買ってきて、車庫に置きたいな、と思っていたら、またネズミの糞
小鳥の餌が散らばっていた。また一時間掃除した
困った。
豚バラブロック肉、鶏胸肉、それぞれ、下処理して干していた
そのまま、干しあがってしまいました
鶏胸肉は、煮込むと牛肉のような食感になります
お通じがこんなにスムーズだと体が軽いです
このままの調子でいってほしいです
愛犬のドッグフードも注文しました
翌日すぐに配達されました。今度の金曜日、また病院です
正直、ここまで回復するとは思っていませんでした
薬は使い方を間違えれば、毒にもなります
そういう意味では愛犬はラッキーでした
小さな平和が私の一番のしあわせです。お米一粒を大事にする、
という両親の背中を見てきました。どちらかというと、母親の背中かもしれません
父親の記憶は、小さい頃から消したい衝動に駆られていました
だけど私が今生きているのは、両親のおかげ
それだけはずっと感謝していようと思っています