わたしが宗教改革(ルネッサンス)に拘る理由は、それが1番大切な「心」に大きく左右するからです。
人間の組織はみんな「心」によって作られていると言え、宗教心はその根幹かと思えます。
これは現代日本の宗教観からすると強調し過ぎに思われるかも知れませんが、世界的に観るとやはり人は宗教と共に生きています。
それは生活にハリを持たすモノで、宗教を否定する国々(中国など)でも人は何かしらの信仰心を抱いており(中華思想など)、日本では経済(お金)が一番人気の宗教と言えそうです。
ここで論点を広げるタメに、昨日読んだ「3つに分けて人生がうまくいくイギリスの習慣」について語ります。
この優秀な女性社長は人生を「仕事、家庭、個人」の3つに分けており、それぞれをバランス良く充実させるコトが重要だと説いています。
このどれか1つに偏りすぎた人生はアンバランスで、生活に偏りが生じて本当の幸せからは遠ざかるとしています。
これはなかなか説得力のある説で、仕事に偏りすぎる日本男性や家庭に偏りすぎる日本女性はバランスが悪く、個人に走り過ぎる若者達もそれだけでは本当の充足は得られないとしています。
雑誌の編集長でもある著者はこの「仕事、家庭、個人」の3つを充実させる道としてイギリスならではの豊かな精神性を挙げていますが、イギリスでも宗教はもうそんなに精神的な影響力を持たず、むしろ動物や自然との触れ合いの方が強い影響力を持つとしています。
わたしが今いるカトマンドゥも曾ては宗教都市として有名でしたが、今ではすっかり商業都市になっており、宗教よりもお金の方がずっと多くの人の心を捕らえております。
しかしこれはやはりアンバランスに観え、古い宗教はお金目的に堕落してしまった観もあります。
これを3つに分ける知恵で観ると「お金、宗教、自然」となり、人口が急増しているカトマンドゥでは自然がどんどん喪われていますが、パシュパティナートやスワヤンブナートでは小山が丸ごと宗教聖地になっており、そこは猿の楽園で自然の癒やしを人々に与えてくれています。
ここでもう1冊、最近読んだ本を挙げさせて貰いますと、それは「ロシアの自然誌」という四季を通して文学的に自然を描き出した本で、人間も自然の一部として季節と共に描いています。
この名著の著者はロシア革命に参加したプロレタリアなので、やはり古い宗教の価値は全く認めておらず、新しい信仰心を自然の中に見出そうとしています。
こうして観ると100年前のロシアと現代日本の宗教観は、文学的にはさして変わらない気がし、それとは気付かない内にルネッサンス(宗教改革)は進行中のような気がします。
それは必要性があるからこそ進行しており、人は「お金、信仰、自然」の3つをバランス良く充足させるコトで本当の幸せを得られるのでしょう。