真の動物福祉牧場を目指して

宗教組織の改革案 (海外編)

 前回から引き続き、わたしが日本では見つけられずに海外で初めて出会った「本物の宗教」について語ります。
 
 日本では新興宗教だけが活動的で伝統宗教は殆ど休眠状態なのに対し、海外では伝統宗教がしっかりと暮らしに根付いているので、そうした宗教は本物と言えるかと思います。
 しかしやはりそうした宗教組織も、時代の流れに合わせて改革する必要があると思うので、おこがましいかも知れませんが改革案を示します。

 今回も色々な宗教組織を挙げるので、始めにそれらを列挙して置きます。
 まずは、わたしが17歳でアメリカ南部の高校に交換留学した時に出会った「サウザン-チャーチ(南部教会)」、次に20歳で初めてチベットに潜入した時に出会ったチベット仏教、その次に同じ旅でバナーラスに3ヶ月沈没した時にハマったヒンドゥー教と続きます。

 その後、日本の大学で専攻した原始仏教との縁もあって、ネパールのルンビニで日本山と出会いました。
 それから日本山の平和行進でアメリカを2回横断した時に体験したネイティブ-スピリチュアル、そうした原始的コミュニティーとの親和性が強い平和主義のキリスト教会と語ります。

 まずは「南部教会」についてですが、これは「ネオコン」などと言う時代遅れな聖書絶対主義の政治パワーを生んでいますが、その悪い組織を改革しようとする南部の若者達も政治パワーを発揮していて、そんな土地柄がトム-ペティやジョニー-キャッシュの偉大なソウル-ロックを生んだと言えます。

 次に20歳の旅で出会った「チベット仏教」を語りますが、これについては「二十歳の冒険(チベット編)」で既に旅の経緯を詳しく語りました。 
 なのでここではいきなり「改革案」を述べさせて貰いますと、ハッキリ言ってチベット仏教は男臭くて野暮ったいので、もっと尼さんを前面に推し出すべきだと思います。

 わたしは近未来の物語で、ダライ・ラマの次のトゥルク(転生活仏)は女性であるとし、そうするコトでチベット仏教に新風が吹き込んで更に世界中で受け入れられ、仏教の「平和・平等・真理」の教えが世界を救うと描きます。

 次のヒンドゥー教については、古い馴染みなので些かラフな言い方をさせて貰いますと、わたしはその野性味あふれる原始人チックなプージャ(礼拝)は好きですが、大祭壇を建造してのマハラジャ趣味のプージャは嫌いです。 

 それは後者が大量の「ムダ・ムラ・ムリ」を生んでいるからで、これではヒンドゥー教がローカル止まりなのも仕方がありません。
 改革案としてはやはり「原始」に還るべきかと思い、それで初めてカヤの「いとおかし」さが味わえると思います。

 原始仏教もそうしたネイティブ-スピリチュアルと親和性があり、ブッタは生涯屋根の下では暮らさずに、自然に包まれて眠るコトを道とされました。
 残念ながら、こうした古い道を追求している宗教組織は非常に稀で、インドの日本山はそうした稀な組織でした。

 これは日本の日本山ではまず味わえない道で、原始仏教が復活しつつあるインドならではの改革であり、日本の仏教がより広く世界に貢献するタメには、この原始仏教の智慮を引き継ぐ必要性があると思います。

 話をまたネイティブ-スピリチュアルに振りますと、彼等は主要作物をスリーシスターズ(カボチャ、豆、トウモロコシ)と呼んで親しみ、彼女等を食べるコトを愛するコトとしました。
 これに対し現代では、こうした食べ物に対する愛は薄れてしまい、作物とのスピリチュアルな絆は失われてしまいまして。
 こうした食べ物を粗末に扱う風潮を改革する使命が、原始的な宗教にはあると思い、実際にネイティブ-アメリカン-ムーブメントはヒッピー-ムーブメントと共に多くの帰農した若いカップルを生みました。

 アメリカ横断の平和行進では、そうしたオールド-ヒッピーのカップルが田舎で良く面倒を見てくれました。
 彼等は平和主義のクェーカー教徒が多く、アーミッシュの人達も平和行進に誘ってくれ馬車と一緒に歩けました。

 アメリカの平和主義クリスチャンは「本物の宗教」だと思い、それは組織とは関係なく個人個人がクリスチャンとしての自覚をハッキリと持っているからで、「宗教組織の改革案」のゴールは個人の「信仰の自由」を高める処にあるかと思います。

 
 
 

 
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