この歴史的な価値を持つ二冊の本は、共に毛沢東(マオ-ヅェドン)が主役となっています。
「マオ」は元紅衛兵で毛を崇拝してたのに裏切られ(下放)、全てがウソだったと気付いて亡命した女性の本なので、毛を思いっきり全否定しております。
一方「中国の赤い星」は、共産党が長征をなんとか生き延びて辺境の地に根を張り始めた所をアメリカ人ジャーナリストが取材して、そのコーディネートを行った沢東が筋書きを練ったとも言われる奇本です。
両者では長征にたいする評価が真っ二つに割れており、「マオ」はそれを略奪行軍とし、「赤い星」は人民を解放する行軍だったとします。
どちらが正しいかは、中国と台湾の間で未だに未解決のまま風に吹かれてますが、まずは「赤い星」の論調をご覧下さい。
こうした伝説的な英雄話は沢山語られ、75年当時の紅衛兵で長征に憧れを持たない者はいなかったでしょう。
曹希聖はまだその頃は、一部からは英雄と崇拝される向きもある程に名が通っておりました。
彼は敗走する当初10万人の軍勢の殿を勤め、それには当地の農民達をゲリラに仕立てて国民党を攻撃させるという戦略で行われました。
「マオ」では、毛は政治的なライバルを敢えて危険な殿に向かわせて始末した、と述べてます。
これにも希聖は確実に関わってたハズで、学生達に政治の世界の汚さを教えます。
どうやって農民達をゲリラ隊に組織したかも教え、まず軍閥をのして地主を血祭りに上げ、その蓄えた富を農民にばらまく事で農民を組織しました。
もちろん物質だけでなく精神的な革命への忠誠心も与えられ、農民達はそれを要らないと拒む事が出来ませんでした。
「マオ」では長征のポジティブな面も述べており、それは1/10までやせ細って逃げ惑う軍隊を哀れんだチベットの谷の部族が、ヒマラヤ越えを支援してくれたお陰で共産党は国民党の追撃を逃れる事が出来たという話です。
これは伝説の一つかも知れませんが、希聖はこの時の恩を返す為に、後にチベット軍を支援したのかと思います。