アトムはどうして起きるのか?

2022-06-02 17:46:29 | 日記


本日は雨でしたね、オークランド。

ということで、今日は一日中お家におりました。

お仕事をしようと努力しつつ、読書をし、デジタルピアノを弾いての穏やかな1日。

(続くかどうか自信がなかったのですが、とりあえず88キー欲しいということで購入した
Piano Nova JL-202 Digital Piano↓)

好きな練習曲にあたるとそればかりず~っと弾いているので亀の歩みではありますが、楽しみつつ前進しております。

読書では以前読んだ枡野さんの「禅と食」というタイトルの本を読み返してみました。

そうだよな、食事を作るときのAttitudeは大切だよな、と、改めて納得です。
お料理に限らず、大切にしようという心があって、整えたり片づけたりといったことを自然にふるまえるようになると。 やはり、想いが大切ですよね


ところで、仏教で「解脱」という言葉がありますよね。
コトバンクによると:本能に基づく迷いに心を縛られている状態(煩悩(ぼんのう))から脱して自由になること。涅槃(ねはん)と同一視され仏教実践道の究極の境地とされるーとのこと。

以前言語のリサーチをしているときに、AIに言葉をどのように教えるか?ということを考えたことがあって、そのての本をよく読んでいた時期があるのですが、この解脱=涅槃(入滅)と、指令を与えていない状態のロボットは少し似ていませんか?(決定的な違いとして、人間には生命がありますが)

ロボットはマズローのいう5段階欲求(生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求)といった、客体を満足させようとするような煩悩はもともと無いわけで、煩悩がない=解脱というならまさに究極の解脱の状態です。寝ていても起きていても違いがない。この状態から、人工知能を搭載したロボットが指令を受けずに自ら進んで動作するようにするには、逆に欲求を植え付ける作業が必要になってくるわけです。

涅槃は仏教実践道の究極の境地とのことですが、生命のある人間はここまでくると(まだお腹が空くとはあるかもしれないけど)仏様と一体の境地になっているので素晴らしい幸福感が訪れているとか、そういうことでしょうか。欲求がないと、思考は新しいものを何も生み出しませんよね・・・。仏教のことはよく分かりませんが、煩悩の火が消えると、真の善の欲求が現れるとか?

ニコマコス倫理でアリストテレスさんは
知性的卓越性+倫理的卓越性(思慮深さ)が良い行いには必要であると仰られておりますが、
身体を動かすのは欲求であるということで、良い欲求を抱いて推進力にしていきたいものです



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