「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

三徳山(鳥取県三朝町)の開祖である役行者は泊瀬の斎宮(鳥取県倉吉市)で仏教・道教を会得した

2018-08-03 13:20:26 | 蘇我氏から倭国滅亡まで
1  鳥取県中部(倭国)の三徳山と泊瀬の斎宮
 鴨一族(事代主をリーダーとする百八十神)は国譲り(紀元前160年頃)で磯城(東郷池周辺)に移っていたが神武4兄弟が居なくなって(紀元前70年頃)から、一部は出身地の葛城に帰っていた。役行者は葛城出身の鴨一族という。

2  三徳山(鳥取県三朝町)
 三徳山の投入堂
 三徳山三仏寺本堂
 三仏寺の輪光院
 投入堂にあった蔵王権現像
 三徳山の宝物殿に役行者像があったのだが、日本遺産登録の記念行事があるので、貸出されてなかった。以前、吉野山の金峯山寺に行ったときに写した役行者像で代用します。鬼神を使役するのは道教である。

3  泊瀬の斎宮(鳥取県倉吉市)
 右の打吹山(泊瀬の山)のふもと(賀茂神社)に天武天皇の皇居があった。

 大御堂廃寺は広場になっている。右の建物はパークスクエア。山は打吹山(泊瀬の山)、麓の賀茂神社に天武天皇の皇居があった。

 僧房(修行する者の寄宿舎)が2棟あった。天武天皇・大来皇女・役行者・長屋親王は、一年半この僧房(修行する者の寄宿舎)に寄宿し仏教・道教(格義仏教)の修行をした。南半分は中部総合庁舎側(松ヶ坪遺跡)にあった。

 ここでは、仏教だけでなく、道教も教えていた。道教の混ざった格義仏教である。修験道は仏教と道教が混在したものである。
 

 奈良の寺院などとの関連が指摘され、大御堂廃寺を地方寺院と言うが、こちらが都であった。


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