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History, Strategy, Ideology, and Nations

11月20日

2009年11月20日 | COLD WAR HISTORY
 米ソ冷戦の原因を検討する時、「イデオロギーか安全保障か」という分析軸が立てられることが多い。
 正解は、「安全保障をめぐるイデオロギー上の対立」である。
 従って、ここでいうイデオロギーとは、資本主義か共産主義かといった経済的視点からではなく、
 軍事戦略とイデオロギーの関係を考えることが重要となる。

 二世代前の人たちなら、よく分かっていることかもしれないが、
 マルクスの著作は資本主義批判の教典であったと同時に、革命運動の指南書でもあった。
 今日、マルクス主義の理論が論じられる機会はかなり少なくなったが、
 米ソ冷戦を眺める時には、その軍事的特徴を知っておいた方が良いだろう。

 そもそもマルクス主義の軍事理論は、マルクス自身によって生み出されたものではなく、
 むしろ、彼の支援者であり理解者であったエンゲルスによって構築されたものである。
 エンゲルスが軍事問題に関心を持つようになったのは、1849年ドイツ各地で起きた民衆蜂起への参加であった。
 このとき、エンゲルスは蜂起失敗という挫折を味わったが、
 その一方で、国家と対決する際には、軍事的観点からの準備が必要であることを痛感したのである。
 特にクラウゼヴィッツの『戦争論』は大きな影響を与えたらしく、
 エンゲルスはマルクスに対して、この本を研究するように勧めるほどであった。
 やがて両者の共同作業は、軍事面ではエンゲルスがマルクスに助言する形で進められたのである。

 そこで、エンゲルスの軍事戦略に見られる特徴は、
 まず第一に、あくまで国家権力から権力を奪取するための「蜂起の技術」であったことである。
 「蜂起は交戦やその他の技術を同じく、一つの技術であり、ある一定の法則に支配されている」
 このように認識していたエンゲルスは、これまでの経験を通じて、
 「軍隊の組織崩壊と軍紀の乱れが、これまで成功した革命の条件でもあり、結果でもあったのだ」との確信を得ていた。
 従って、強大な国家権力に立ち向かう上で、
 組織内部から動揺を引き起こさせることがきわめて重視されたのである。
 
 この発想は、当然のことながら、レーニンやスターリンによって引き継がれた。
 また、この思想に触れた共産主義者たちも、
 国家権力に挑戦する際には、エンゲルスの闘争理論に則って革命運動を繰り広げたのである。
 その手段は多彩であり、基本的には大衆蜂起の煽動であったが、
 あらゆる組織内に浸透して、混乱を誘発させ、それに乗じて権力奪取を目指す戦術が採られたのであった。

 こうして見ると、ケナンが送付した「長文電報」の内容は、
 ソ連・共産主義の軍事戦略を概観してみせただけのものでしかないことが分かる。
 また、その根底には、やはりイデオロギー的な志向が強く流れており、
 蜂起の一つ一つを潰していっても完全なイタチごっこであって、
 共産主義者の認識を根本的に変えていかなければならないとの立場を採り続けたことも、
 ケナンの理解が正しかったことを示している。
 
 もっとも、その捉え方に修正を加えようとしたのが、ニッツェになるわけだが、
 今回はここまでにしておこう。

 なお、エンゲルスの戦略思想については、以下の文献を参照した。

 小堤盾
 「エンゲルス/『将軍』と同志たちに敬称されたマルクス主義軍事論の泰斗」
 (前原透監修・片岡徹也編集『戦略思想家事典』芙蓉書房出版、2003年、241-247頁)