YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

文化的アプローチの限界

2010年05月10日 | COLD WAR HISTORY
 近年、冷戦史研究でも、文化的側面に注目した研究が多く発表されるようになってきた。
 「文化」と一口に言っても、その意味するところは、論者によって様々で、
 採用されるアプローチも非常に多様なものとなっているのだが、
 軍事や経済に関心が偏重したことへの反省から、
 人々の生活や大衆世論といったものが持つ歴史的価値を再検討する動きの一環として、
 広く歴史学の分野で高まりを見せ始めている。

 そうした動向を反映して、いまや米国の大学においては、
 マイノリティ研究に関する講座が必ず一つは設置されており、
 黒人史や女性史を専攻する研究者が、最低一人は所属している。
 また、一連の研究を「大衆史(public history)」として確立する動きも見られ、
 歴史的関心の焦点が、徐々に無名の人物に向けられる傾向が強まっている。
 かつて歴史家の平泉澄は、日本の農業に関する歴史を研究したいといってきた学生に対して、
 「百姓に歴史はありますか?」と問い返したことがあったらしいが、
 現在はむしろ、百姓の歴史にこそ、埋もれた真実が隠されていると心得て、
 庶民文化の歴史的検討を進めながら、新しい視座を獲得しようと模索しているのである。
 
 しかし、話を冷戦史研究に絞ってみると、
 文化的側面を重視した研究が増えているとはいえ、その評価は完全に割れている。
 一つの理由としては、こうした研究では、資料の使い方が非常に恣意的であることが挙げられる。
 つまり、自分の主張に都合の良い資料ばかり集めていると同時に、
 その利用法も、資料が作られた背景を無視して引用するケースが目立っているため、
 「素人が書いた外交史」と酷評される研究も、随分、見受けられる。
 特に「文化論的転回(cultural turn)」を志向するグループに関しては、
 少しでも好戦的なフレーズや表現を使った文書を見つけると、
 すぐに「戦争を欲して止まない米国の文化的性向が現れている」と解釈されてしまうため、
 そうした「脱構築」的な手法に対しては、非常に厳しい批判が寄せられている。

 ただ、文化論的転回のグループは、冷戦史研究でも異端扱いされているとはいえ、
 その他の文化的アプローチを目指した研究においては、
 「だから何なんだ(so what?)」という疑問に十分、答え切れていないことは、
 先の問題点と合わせて指摘されることである。
 なるほど、大衆世論や無名の個人が、
 様々な思想やネットワークを持っていることは間違いないとしても、
 冷戦史の文脈から、それがどのような意義を持っていたのか、実に曖昧なものが多いのである。
 プロパガンダや文化政策に関する研究では、それを冷戦終結と結びつけようとするが、
 その視点だと、なぜあのタイミングだったのか説明することができない。
 共産圏の人々が冷戦初期から自由を求めていたことは、当時すでに分かっていたことであって、
 珍しいものでも何でもない。
 結局、米ソ冷戦を終わらせたのは、
 軍事的・経済的要因の方が大きかったのではないかという反論に対して、
 途端に歯切れが悪くなってしまうのである。
 
 文化的側面に注目した研究の成果が多く出されている割には、
 いまいち専門家の間で大きな衝撃をもって受け止められていないのは、
 研究手法上の問題点もさることながら、
 その影響力自体がどこまで政策決定や権力闘争に深く関わったのかが示されないからである。
 米国もソ連も、他国の世論を自国に引きつけるように努力したというだけでは、
 やはり歴史の読み物として、面白味に欠けると言わざるを得ない。
 おそらくこのアプローチが抱える限界は、
 マクロとミクロの相互関係を結びつけられていない点に求められるのであろうし、
 この部分にブレイク・スルーの可能性があるのだろうと思われる。