米国スタンフォード大学に併設されているフーバー研究所は、
長年、反共プロパガンダに関する研究を行なっていることで有名である。
特に米ソ冷戦の時代において、ソ連・東欧諸国向けに発信されていた民間ラジオ局、
自由ヨーロッパ放送(Radio Free Europe)と解放放送(Radio Liberty)の資料収集に力を入れており、
今回、出版された研究もまた、そうした成果の一部と言えるだろう。
A. Ross Johnson
Radio Free Europe and Radio Liberty: The CIA Years and Beyond
Washington D.C.: Woodrow Wilson Center Press, 2010
著者は、自由ヨーロッパ放送の代表を務めた経験を持ち、
現在、フーバー研究所調査研究員として、その資料収集プロジェクトの顧問を担当している人物である。
自由ヨーロッパ放送も解放放送も、同じ目的を持った民間ラジオ局ということで、
「RFE/RL」といった具合に表記されることが多い。
本書でも、冒頭で両者の起源について言及されているが、
実質的には同じような海外宣伝放送を行なっていたことから、
ほとんど同義的な存在として扱われている。
米ソ冷戦の終結に際して、ラジオ放送が果たした役割というのは、
すでに広く認められているところである。
そのため、先行研究も多く存在しているのだが、
本書で焦点が当てられているのは、主にRFE/RLと米国政府の関係である。
周知のように、RFE/RLは、封じ込め政策の提唱者ジョージ・ケナン、
ならびに、その意向を受けたCIA政策調整局長フランク・ワイズナーの二人によって、
CIAの資金援助を受ける形で創設、発展してきたラジオ局であり、
この事実は、もはや情報史研究では常識となっている。
共産諸国に対して、直接、軍事的に圧力を加えられない事情から、
米国は、宣伝戦を通じて国内政治に影響を与えることにより、対外行動の変化を期待したのである。
しかし、こうした面については、これまでにも指摘されていることであり、
特に目新しい視点を提供するものではない。
むしろ、第7章で取り上げられているように、
RFE/RL自体が、1950年代以降、ソ連による情報工作の標的となっていて、
相当数の内部協力者が存在し、ソ連側に情報提供を行なっていたことに興味が引かれる。
しかも、その際、ソ連側の関心は、RFE/RLの宣伝工作を妨害することではなく、
RFE/RLスタッフのインタビューを受けたソ連市民の確認や追跡に向けられていたらしい。
ここにはおそらく二つの目的があったものと推察される。
一つは、インタビュー内容の検討を通じて、米国が欲している情報を明らかにできるということ、
もう一つは、西側陣営の人間と接触した人物の動向を把握するという二点である。
RFE/RLのみならず、VOAに対しても、ソ連は妨害電波を発信し続けていたが、
モスクワ以外の都市においては、必ずしもその効果は大きくなかったと言われている。
そうした状況については、ソ連自身も把握していたというべきであり、
RFE/RLへの情報工作は、ジャミングでは不十分だった西側陣営からの情報浸透を阻止、
もしくは監視する手立ての一つとなっていたのであろう。
なお、本書では、RFE/RLの活動を通じて得られた教訓も記されている。
特に重要な教訓は、宣伝工作が相手側の陣営内部に新しい反対勢力を生み出すものではなく、
あくまでも既存の反対勢力を支援・強化するものであるということである。
裏を返せば、相手側の社会的不満が少なければ、
いかに宣伝工作を弄しようとも、望ましい成果を上げることはできないということになる。
そう考えると、共産主義が流布する根本的要因を貧困と捉えて、
第二次大戦終結後、いち早く世界各国の経済支援に乗り出した米国の判断は、
宣伝戦への対抗策として、実に有効なものであったと言えるし、
共産側が最後まで国内経済の問題を改善できなかったことは、
言い換えると、宣伝戦への脆弱性を克服できなかったということにつながるのである。