代々木公園ヘルスケア鍼灸院blog

渋谷区・富ヶ谷。代々木公園近くの鍼灸院が綴る日々のこと。

戸隠神社・奥社

2013-05-05 16:03:26 | 日記


久しぶりの休日。

長野の実家へ帰り、爺さん、婆さん、フレブルのPEACEと車で戸隠山、戸隠神社へ行って来ました。

戸隠へは何度も行っていましたが、奥社へ行ったのは初めてでした。

奥社へは参道入り口から約2K先にあり、山を登るかたちです。

足腰の弱った爺さん(82歳)と犬のPEACE(10歳)は駐車場の車に残し、婆さん(77歳)と山に登りました。

参道には所々に雪が残り、木々からは鶯の鳴く声が響き、山の中の空気はとても気持ち良かったです。

しかし、登るのも降るのも山登りに慣れた婆さんがすいすい歩くのに対し、すっかり都会っこになってしまった私はヘロヘロ!何度もつまずいてしまいました。



  

 



  

  

  





  

  

  



戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。

その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。

平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。

神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。

江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。

山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。

明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。

日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。

奥社は戸隠神社の御本社として全国に開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が広宣され多くの崇敬者が登拝されます。

参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています。