代々木公園ヘルスケア鍼灸院blog

渋谷区・富ヶ谷。代々木公園近くの鍼灸院が綴る日々のこと。

富ヶ谷の街の歴史 ④

2010-11-30 18:58:17 | 日記


井の頭通り沿いの現在白寿ホールがある場所はかつて(70年ほど前)「井上馬場」という乗馬場だった! 

この場所は結構坂道なので、こんな場所にー!?と思ってしまうが、時代を逆昇って江戸時代、現在の代々木公園一帯は、江戸城防衛のために置かれた大名や旗本の屋敷群の連なる武家屋敷が多かったという。

お殿様の好きな乗馬場があってもおかしくは無い!

参宮橋駅近くの「東京乗馬倶楽部」もその名残かー!?

ちなみに、この「井上馬場」、タレントの井○順さんの生家だったとか!?




商店街にあるクリニックモールのビル。

この場所は、国民的アイドル(?)のキ○タク(※キヤタクではない!)のお爺さんがミシン屋を営んでいたという! 



代々木八幡駅の横のパン屋さんがある場所。

ここは「東急バス」の折り返し場だった様です。

昔は渋谷駅から代々木八幡駅までバスが通っていたんですね。 

富ヶ谷の街の歴史 ③

2010-11-29 17:31:14 | 日記
この代々木八幡商店会から渋谷の街へ向かって伸びる歩道。

この歩道の下には、現在も実際に川が流れている。

川の名前は宇田川である。

昔はこの川で、ふなやザリガニが獲れたと言う。

しかし、あまり綺麗な川ではなかった様です。

  

この歩道を入って約20M程進むと、左に細い路地がある。

現在は川は流れていないと思うが、昔はこの宇田川から別れ、代々木方面に流れていた川の名は河骨川と言う。

別名、春の小川



当院の直ぐ隣りを流れていた事になる。

  



具志堅さん

2010-11-25 10:48:21 | 日記


小田急・新宿駅ホームにフレッツテレビのパネルが貼られていたので、思わず写メを撮ってしまいました!

フレッツテレビ 地デジ・コンビネーション篇 コマーシャル面白いですね!

「テレビを買うなら、光で地デジ!!」って言っていますが、私はまだ自宅のテレビは”アナログ”です。(治療院のテレビは地デジですが・・・)

それにしても具志堅さん若い!(現在55歳)現役時代とあまり変わりありません。
それに、全然太っていない!



具志堅用高(協栄)は元WBA世界J・フライ級チャンピオン。

9戦目での世界タイトル奪取!防衛13回を誇るスーパーチャンピオンでした。

現在は白井・具志堅スポーツジム会長である。

私にとって具志堅さんは”神様”でした。

14度目の防衛戦に失敗して、タイトルを失った時は”ショック”で寝込んでしまったほどです。

私は中学2年生の時、漫画「明日のジョー」「がんばれ元気」を読みボクシングに興味をもった。

その当時、具志堅さんは日本で唯一の世界チャンピオンでした。

当時の”世界タイトルの価値”は現在とは比べものにならない位に高いものであり、テレビの視聴率も非常に高いものでした。

私の住んでいた長野県では、具志堅さんの試合は7回目の防衛戦位までテレビ放映はありませんでした。

8度目の対Aロペス戦以降は全て見た記憶があります。

以前、2/2のブログでも書きましたが、どうしてもボクシングの試合がテレビで見たく、親に頼み込んで、東京の放送局が映る様にアンテナを立ててもらいました。

それでもテレビの画面はザーザーで、局と時間滞にもよったが、まともに見れたものではありませんでした。

当時、家にはカラーテレビと白黒テレビが2台あり、白黒の方が東京チャンネルが映りやすかったので、具志堅さんの4度目の防衛戦、対Aバルガス戦を、まともに映らない白黒テレビの前でTBSラジオを聴きながら(当時はラジオでも放送していた!)見ていたものです!

今はYou Tubeなどから簡単に映像が手に入りますが、当時はボクシングの情報は「ボクシングマガジン」と「ゴング」誌からのみでした。

当時は時々やるテレビ放映と、それらの雑誌、漫画から「ボクシング」に対して凄い”憧れ”と”夢”を抱いたものです。



 



富ヶ谷の街の歴史 ②

2010-11-24 16:37:19 | 日記






明治神宮、表参道に続くこの道。

私はこの道が好きです!

代々木公園手前を右折した道は「井の頭通り」であるが、直線する道の名前は「何通り」だろうか?

代々木公園は戦後「ワシントンハイツ」と言う、米軍将校家族宿舎であったが、昭和36年には接収が解除され、昭和39年開催の「東京オリンピック」前に選手村として整備され、その時この道は開通した様である。

私はこの”名前不明”のこの道に”縁”がある様だ!

表参道から井の頭通りまで続く約1kのこの道はかつて毎週日曜日には「歩行者天国」(通称ホコ天)として開放され、アマチュアバンド、竹の子族、ロックンロール族、一世風靡セピアなど、さまざまな若者風俗の発信地ともなった!

残念ながらその”ホコ天”は今から12年前の1998年に中止となってしまった。

私が高校生の頃、長野から上京しては竹の子族、ローラー族などを見ていたものです。

高校を卒業して、下北沢の金子ジムからプロボクサーになった。

試合の時は、朝の計量時、夕方は試合場まで金子会長の運転する車で、この道を通り後楽園ホールまで行ったものです。(デビュー戦以外の全試合!)

ボクサー時代の朝のロードワークで、表参道や神宮外苑を走る時は、この道を通りました。

ボクシングを引退した後は、原宿の「BEAMS」に勤めた。

下北沢のアパートから毎日ロードレーサー(自転車)でこの道を通り、通勤していました。

本郷三丁目にあった医療機器の会社に勤めていた時も、やはり毎日車でこの道を通り通勤した。

今の仕事場はこの道の直ぐ近くである。

今まで約30年間で、一体この道を何度通ったのだろうか!?



富ヶ谷の街の歴史 ①

2010-11-22 17:46:19 | 日記
代々木八幡商店街から一歩入った路地に当院はある。

現在、この通りにお店は6件あるのみである。

65年~70年程前、この通りは「新富横丁」といって16件程の商店が並ぶ、賑やかな商店街であった様だ!



               






たばこ屋さん  お花屋さん



肉屋さん     駐車場



八百屋さん   ダーツバー



うなぎ屋さん   洋服屋



菓子屋さん    美容院



酒屋さん      鍼灸院



揚物屋さん     日本語学校



レンズ工場     シューズファクトリー